水戸はふらりと自転車で、というにはあまりに遠いと思うTFJです。東京駅から 高速バスに揺られること一時間余り、というのはそれでもまだ近いか。 ・ ・ ・ ダニエル ビュレンヌ展 - 透きとおった光 Daniel Buren - Transparence De La Lumiere Travaux In Situ 水戸芸術館現代美術ギャラリー・広場, 水戸市五軒町1-6-8 (水戸,大工町) 96/8/3-11/10, 9:30-18:30, 月休 街中に明るい色と白の縦縞を出現させる現代美術作家Daniel Burenのこの展覧会を 観て、やはりこの作家は街に出たほうが楽しい作家なのだな、と思った。 もちろん、水戸芸術館を「美術館」ではなく公的空間と見立てた上での制作なの だろうが、いくら磯崎新の個性的な建築とはいえ現代美術ギャラリーの空間は 没個性的空間だと思う。そこに制作された「光のための五つの色」や「分離− 無限の増殖:透かしの入った壁」を観ても、たしかに奇麗だとは思うけれども、 むしろ空間の空虚さに滅入ってしまう感もある。 縦縞を用いていない「転倒・矯正・増殖 光 : 四つの色のためのカレイドスコープ」は、 入ると一瞬平衡を失うような感覚が面白かったが、これだけ作品があまりに異質で、 ちょっと意図不明の感もある。 ギャラリーを使った展示で面白かったのは、迷路のような「投影−送風:回廊」。 スライドプロジェクタの置き方にもう少しこだわってもいいのでは、とは思った けれども。日暮れの浜辺のテント (Eric Rohmer "Conte D'Ete"で観たような) の 中を歩くような不思議な感じだ。 けれども、Daniel Burenが面白いのは、庭に立っている「映り込み−きらきらとした 光:噴水のための炸裂した小屋」の周りで遊ぶ子供たちを見られるからかもしれない。 いや、水戸芸術館の正方形の窓を探して館じゅう歩き回ることになってしまう 「全ての正方形の窓:枠、枠の中、菱型」を探して歩いていてみつけた、噴水裏の 正方形の窓の淡い光の美しさ、水戸芸術館側の歩道から交差点越しに見た横断歩道と 出光ガススタンドからなるシマシマの塊ともいえる面白い光景、そんなものを見つけ てしまうような楽しさこそDaniel Burenならではだと僕は思う。 もし、現代美術ギャラリーのような空間でDaniel Burenを展示するなら、例えば 常設展示をした状態の上に展示する方が面白いように僕は思う。水戸芸術館には コレクションが無いので難しいだろうが。例えば、Daniel Burenと現代日本の 彫刻 (陶芸)、のような企画も挑戦的になりえたと思う。河原 温のコンセプチュアルな "Date Printing"とアメリカの'66年以降の写真作品を組み合わせた"Pictures of the Real World (In Real Time)"展 (原美術館, '95)が、展覧会自体が一つの美術 作品、と思わせるほど面白いものになっていただけに、もっと同様の試みがなされて もいいように僕は思う。 8月6日から10月20日まで行われている「虹 (南町三丁目フラッグ・プロジェクト)」は、 日暮れ間近という時間帯が悪かったか、二ヶ月余り旗が雨風にさらされ一部色あせ はじめていたせいか、もしくは、旗の端が白だったせいか、全体としてちょっと ぼやけた感に見えたのが惜しい。といいつつ、おもわず商店街を一往復半して しまったが。 ・ ・ ・ この水戸小旅行の疲れが出たか、土曜は39度近い熱を圧して (よいこはけして真似を してはいけません。) 砧公園までたどり着くもそこで半死状態。Joelle Leandreの ライブは断念して帰途についた。が、用賀駅は遠い。途中のベンチで死んだふりを しているところ、お巡りさんに「救急車を呼びましょうか」と声をかけられては いかんね。しくしく。 家にころがりこんで、十二時間ばかり死んだふりをしていたら、熱は下がったが。 筑波大学に東京から自転車で乗り込むという野望は、もろくも崩れ去ったのであった。 96/10/13 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕