仕事帰りにレイトショーで映画を観るのが好きなTFJです。追加上映期間がいつの まにか終わりそうになっていたので、最終日の前夜の木曜晩に、ユーロスペース2に 足を伸ばした。 _ _ _ 「ジャン=ピエール・レイノーの家 1969-1993」 "La Maison De Jean-Pierre Raynaud 1969-1993" (ユーロスペース, ESV-015, '93/'96, VHS) - 1993, France, colour, 31min - directed by Michele Porte, music by Arvo Part - Jean-Pierre Raynaud 白タイルを使ったインスタレーションで知られるフランスの現代美術作家Jean-Pierre Raynaudの、20余年間の自分の家に対して行った構築と破壊の歴史の話の映画。 このJean-Pierre Raynaudの家は、原美術館 (品川) の3FにあるRaynaudの常設作品で ある白タイル貼りの部屋 "ゼロ空間" が、全ての部屋にわたって展開されている ようなものだ。噂には聞いていたので、その美しい白タイルの室内をくまなく紹介 するような映画かと思っていたが。むしろ、その変遷の経緯をRaynaudが意外に饒舌に 語るというもの。 家の中を白タイル貼りにした経緯というのが秀逸。当初は普通の家を持ちたいと 思っていたようだが、それに普通のものが侵入してくるのが堪えられなくなったから という感なのだが、それでまず最初にしたのが離婚、と言ったのがいい。 白タイル貼の屋敷は、室内を全部白タイル貼にしたら完成、というほど単純な話では なく、何回となく破壊と構築による変更あった。夜の方が大胆になれるので大概の 作業は夜にやった、という発言には笑った。明らかに、性行為を念頭にした発言だ。 こうして、破壊と構築を繰替えした家も、最後の数年はもうこれ以上手を加える ことができなくなり、最後に全面的な破壊、本人の言葉を使えばメタモルフェーズ (変態)することを決意する。美しい白タイルの壁が崩れていくこの破壊シーンが この映画の頂点か。しかし、ショベルカー一台で簡単に崩れていくのは、ちょっと やわ過ぎるかな。最後の、建物の破片を使ったインスタレーションのシーンは、 ちょっと感傷的か。 Raynaudと彼の家の関係はかなり明示的に恋愛・結婚生活を比喩にして語られている。 どこまで本気でどこまで機知なのか計りかねるところはあるのだが。甘いものでは なく、破壊と再構築の繰り返し−およそ普通とはいえないRaynaudと家との付合いを、 恋愛になぞらえる感覚は、僕は好きだ。 しかし、Raynaudの白タイル貼の空間にArvo Part (正確にはPartのaの上に"が付く。 Estoniaの現代音楽作曲家。) の音楽が意外に似合う、というのは発見だった。 _ _ _ これは、ユーロスペースからヴィデオが出ている。31分で4800円はちょっと高いか。 ちなみに、併映「森村 泰昌 − 女優家の仕事」は、こんなものか。以前に聴いた 講演から出る所はほとんど無かった。 Raynaudで使われたArvo PartといえばECMのNew Seriesから何枚かリリースがあるが、 ECMといえば、Jean-Luc Godard。 _ _ _ David Darling "Cello" (ECM, ECM1464)のジャケットには、Jean-Luc Godard監督の "Passion"のスチルが用いられているのだが、もう一枚、ECMレーベルに"Passion"の スチルが使われたジャケットがあるのに最近気付いた。Christopher Bowers-Broadbent "Trivium" (ECM, ECM1431)。Arvo Part、Peter Maxwell Davies、Philip Glassを オルガンソロ演奏した作品だ。 Jean-Luc GodardとECMは縁が深く、"Nouvelle Vague" (dir. by J.-L. Godard, '90) の音楽はPatti Smith "Radio Ethiopia"を除いて全てECMの音源だ。今、ECMでは、 "Nouvelle Vague"の完全な形で−音楽だけでなく会話や効果音を含めて−のサウンド トラックをリリースするプロジェクトが進行中という。他の最近の映画についても、 同様のプロジェクトがあるという。とても楽しみだ。"Nouvelle Vague"のヴィデオを ECMの音楽ヴィデオとして観る、というのもまた一興なのだが。 96/12/1 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕