街を歩いているときだった/僕は付けられている気配を感じた/僕のすぐ後ろを ぴったりと/僕はふりかえった/それはαさんだった/何、つけているんですか /あ、こんにちはぁ/そして、彼女はこう言った/いい鞄だなあとおもって/ ちょうど背負う鞄を探しているんですよ/動くんで、なかなかタグが読めなくて /どこで買ったんですか?/…/ _ _ _ というわけで、ストーカーじゃなくてよかったと思うTFJです(嘘)。じゃなくて、 外苑前のビル8階で "On Kawara - 12 Months of 1994"展 @ Gallery Shimada を 観ながら1994年がどういう年だったのか思い出してみた。 で、外苑前から散歩しつつ渋谷まで。で Mary Jane で川仁さんと、秋葉原に行か ねば/行くべきだ、という話をしていました。なんか歓迎パーティという感じには ならなかったが。というわけで、今回の「冬に向かって歩き出す会」は2人だけ。 今日はいい天気に誘われて自転車を駆り出した。強い季節風に煽られながらも、 多摩川の土手の上を、ひたすら…。 あまり美術や音楽の話をしたい気分でないので、今日は久々に小説の紹介。 Trout Fishing in Japan なんて名乗っているくらいで、もっと重点を置きたい ところではあるんだけど…。 _ _ _ 木村 栄一 編, フリオ・コルタサル 他 「遠い女 − ラテンアメリカ短篇集」 (国書刊行会, ISBN4-336-03599-7, '96/10/15) "La Lejana y Otros Cuentos Fantaasticos" - pp.275, 1942円 - Alfonso Reyes, Octavio Paz, Carlos Fuentes, Julio Cortazar, Adorfo Bioy Casares, Manuel Mujicaa Lainez 去年末に「文学の冒険」シリーズから出た、ラテンアメリカの作家の短篇集の 翻訳は、11作中5作がコルタサル (Julio Cortazar) のもの。収録作品は20世紀 前半に書かれたものが多い。 ラテンアメリカの作家の中では、Jorge Luis Borges でも Gabriel Garcia- Marquez でもなく、Julio Cortazar (1914-84) が、僕は一番好きだ。彼は アルゼンチン出身の幻想文学作家といわれるが、僕は幻想的な作品よりも、 ちょっと残酷でちょっと切ない恋愛短篇小説が好きだ。 この短篇集であれば、「乗合バス "Omnibus"」。他の客と違うバス停で降りる というそれだけで乗務員や他の客に奇異の視線を浴びてしまった男女2人の客の 間に芽生える友情の話を、甘過ぎもなく − 「(男はもうクラーラの腕を取らな かった)」のような一節がいい − ちょっと幻想的に描いており、さすが Cortazar という出来だ。 次々と婚約者が死んでいく女の話「キルケ "Circe"」や、ダンスホールに死んだ 恋人の幻を追う「天国の門 "Las Puertas Del Cielo"」と、この短篇集を読んで 一番印象に残ったのは、やはり、彼の短篇だった。 久しぶりに Cortazar の新しい翻訳を読んで、つい「遊戯の終り」など読み 返してしまった。 僕がラテンアメリカの文学に初めて接したのは、国書刊行会がかなり特殊な 装丁で出していた「ラテンアメリカの文学」というシリーズを高校の図書館に 一通り揃えてもらい片端から読んだときだった。その中で最も気に入ったのが、 コルタサル「遊戯の終り」(Julio Cortazar "Final Del Juego" ('56)) という 短篇集だった。読書中に小説の登場人物に刺殺される「続いている公園」や 山椒魚に熱中するうち自分が山椒魚になってしまう「山椒魚」のような、 フィクションとそうでないものの間の曖昧さを描いたかのような幻想的な作品が 彼らしいのかもしれない。しかし、僕はむしろ、隣に済む女の子への慕情と 嫉妬を描く「殺虫剤」や三姉妹の嫉妬を描く「遊戯の終り」のような、 ちょっと残酷で甘いというにはあまりに淡い恋愛小説が、というのも彼らしい と思うし、それが彼の魅力だとも思っている。 これは、90年に単行本で新装復刊されているので、この短篇集で Cortazar の 短篇の魅力をぜひ楽しんで欲しい。 フリオ・コルタサル 「遊戯の終り」 (国書刊行会, ISBN4-336-02659-9, '90/11/15) Julio Cortazar "Final Del Juego" ('56) 続いて読んだのが、去年ついに文庫になってしまった、実験的な長編、 フリオ・コルタサル 「石蹴り遊び 上/下」 (集英社文庫, ISBN4-08-760241-9/760242-7, '95/1/25) Julio Cortazar, "Rayuela" ('63) 155の章からなる長編なのだが、作者によって2通りの読み方、つまり純に読んで 行くだけでなく、違った読み順が作家によって指定されている本である。 もちろん、そんな指定に従わず、自分の好きな順で読めばいいのだが。 ポケットアルバムからこぼれ落ちて順番が判らなくなった一連の写真を、 写真に写っているものを見て想像しながら順に並べていくような、そんなことを 感じさせる作品でもある。もちろん、そういう形式的な実験を除いても、 Cortazar ならではの恋愛小説の味もいいが。 この「石蹴り遊び」は、もともと集英社の「世界の文学」から出たものだが、 そのときも、2段組で3cmはあろう厚さの本だったのだが、文庫化に際して2分冊 されてしまった。非線形な読み方をすることを考えると分冊化は避けて欲し かった…。 _ _ _ 集英社の「世界の文学」シリーズといえば、白水社の「新しい世界の文学」と 並び、秀逸な翻訳作品を出していたのだが。今や古書店を巡るしか入手できなく なっている作品が多い。 特にドナルド・バーセルミ「死父」(Donald Barthelme "The Dead Father" ('75)) と、フィリップ・ロス「われらのギャング」「素晴らしいアメリカ野球」(Philip Roth "Our Gang" ('71), "The Great American Novel" ('73)) は集英社から出て いた中では、文庫化熱烈希望なのだが。1995年の Donald Barthemle の翻訳本出版 ラッシュでも「死父」は出なかったからな。やはり、無理か? 97/1/26 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕