観客不在の美術の議論 「ムンターダス展 − 枠組みの間で:フォーラム」 "Muntadas exhibition - Between the Frames: The Forum" ヨコハマポートサイドギャラリー, 横浜市神奈川区栄町5-1 YCS (横浜駅東口) 1997/3/7-3/31, 11:00-18:00 (木祝休) ディーラー、コレクター、ギャラリー、美術館、美術館ガイド、批評家、メディア、 エピローグ (作家) の8章構成の、美術関係者120名へのインタヴューと挿入される 映像 (オープンヴィジュアル) からなるビデオが、章別に7つのブースで (ディーラーとギャラリーは併せて1つ) 流されている。 それぞれ違う色の光で照らされた刺激の少ないブースの中で、理解不能な言葉 (スペイン語、カタロニア語、フランス語、イタリア語) で語られるインタヴューを 字幕なしで聞くというのは、いくら本を貸与されるとはいえ、観客を議論に誘うと いうより、むしろ、単調さによる眠気を誘うものだった。 もし、インタヴューで語られている内容をちゃんと知りたいなら、本を読んだ 方がてっとり早いだろうし、全部観ると4時間半もあるビデオをあの場で全て見る ことを前提としているとしたら、それは傲慢な作品だろう。ほとんどの観客に とって、ここでの議論は、4時間半もつきあいたいと思うほど興味深くも切実でも ない議論だろう。 そういう意味では、ブースから出て全てのブースが見渡せる円の中心に立つと、 各ブースからの声が重なったざわざわした感が面白い。しかし、そこで、この 美術の社会機構に関する討議場の比喩としてのこの円卓 − フォーラムには、 僕 − 観客の席は用意されていないということに気付くのだ。 観客のいる席は円卓会議の議席ではなく傍聴席だ。様々な立場の人の発言を聞く (そして考えたければ考える) ことはできるが、発言権も議決権もない。つまり、 この展示を観るにあたって、観客は自分の美術に対する考えや立場を述べる 機会を与えられていないし、そもそも、それを明らかにする必要もなければ、 明らかにすることを迫るものもない。それとも、観客は求められるまでもなく 美術について考えているものだ、とでもいうことなのだろうか? その意味で、一般の観客は、ここでの議論では当事者性の無い安全な場所に いることができる。この円卓会議に席を与えられているよ人 (美術館関係者や 批評家、作家など) が観れば美術にまつわる日常の信憑性を問いなおすものが あるかもしれないが、一般の観客のほとんどにとってはそうではない。美術は ポピュラー音楽程には一般的な人の日常生活には組み込まれていないし、この 展示を観てその場かぎりの嘘でもいいから日常生活に組み込まれたものとしての 美術が観客に提示されるわけでない。だから、観客の日常生活を構成する社会 機構の比喩としても、ここで提示されている美術の社会機構はあまり機能して いない。まるで、自分とは関係の無い − 本当は何らかの関係があるのだろうが − 社会機構を脇から見ているといった感じだ。 結局のところ、この作品は「美術関係者」の業界内輪ウケの作品だろう。そして、 その関係者の中に観客は含まれていない。もしかしたら、コンセプト的には、 ビデオには無いプロローグが観客なのかもしれないし、本来の (この展示では 会場の都合で半円形) 円形のインスタレーションの入口にあたる八分円こそが 観客の座るべき円卓会議の席だったのかもしれない。しかし、結局のところ、 他の立場の人の発言を一方的に − いくら各ブースを渡り歩くことができると しても − 聞くという役割しか、この作品は観客に与えないからだ。 いや、この作品は、美術の社会機構における観客の不在を象徴しているのかも しれない。もしくは、美術館関係者や批評家、作家などが言うことを選択する ことはできるとはいえ一方的に聞く (そして考えたければ考える) ということ こそが、美術の社会機構における観客の役割そのものということなのかもしれない。 そして、理解不能な言葉のインタヴューのヴィデオを装飾のないブースの中で 観るときに感じる眠気を誘うような単調さほど、美術の社会機構における観客の 立場の一種の疎外感を実感するのにうってつけのものは無いかもしれない。 そして、その意味で、この作品は成功しているのかもしれない。 Muntadas は Barcelona, Cataluna 出身のコンセプチャルな作品を作る作家。 彼のプロジェクトのひとつである検閲に関する文書のWWWでのアーカイブ The File Room というものもある。URL は次のとおり。 The File Room http://fileroom.aaup.uic.edu/FileRoom/documents/homepage.html _ _ _ といった話を、主催者の関 ひろ子さんとロビーで話していたら、camito-fan ML の知り合いが。Destroy All Monsters 展でも会ったし、「不易流行」の ときも入れ違いだったらしいし、よく会いますね。この土曜日は横浜サイクリング ついでだったので、僕は自転車乗り姿だったれども、今まで帽子+コート姿の ときにしか会ったことが無かったので、最初は別人28号に見えたようだが。 しかし、サイクリングの方は、年度末の週末は平日並みの道路混雑で、 馬込〜横浜タイムトライアルところではなかった。おまけに小雨もぱらつき、 快適なサイクリングと言い難かったが。 このときに一緒に観た 「現代の写真 I - 失われた風景 − 幻想と現実の境界」 横浜美術館 (桜木町) 1997/2/1-3/30 は、Larry Clark "Kids" の写真もあったりしたけど、最近の僕の興味とずれて しまったかな。Catherine Wagner の形式的な作品が今の好み。あと、Andres Serrano は観ていてドキドキしてしまった。 _ _ _ 日曜日は朝からいい天気に誘われて上野へ。自転車日和だったけど、原美術館の 企画に参加する予定があるので、やめておく。まず、京成の博物館動物園駅の 見納めに。"M in M Project" もやっているかと思っていたのだけど、これは22、 23日のみだったよう。残念。しかし、いい天気ということもあって、上野公園は ものすごいことになっていた。博物館動物園駅も鉄道ファンとかが沢山いたが。 まだ時間はあったので、SCAI The Bathhouse は休みなので谷中ではなく、こちら。 「VOCA展'97 現代美術の展望 − 新しい平面の作家たち」 上野の森美術館 (上野) 1997/3/15-31 ぱっと流して観ただけなので作家の名前もあまり覚えてないのだけれど、 「写真、絵画、その他のもの」みたいな題の写真を並べた作品が印象に残った。 で、千代田線、有楽町線、臨海副都心線を乗り継いで東京ビッグサイトへ。 「第5回国際コンテンポラリーアートフェスティバル NICAF '97」 東京ビッグサイト東展示ホール4 (国際展示場) 1997/3/28-4/1 原美術館メンバシップの企画で行ったのだが。ギャラリーガイドに見覚えある 人が…。20万円が目安かー。これだけあったら、レコード100〜150枚買えるなー。 お祭というか見本市というか。 ベイス・ギャラリーの FX Harsono の DEMOKRASI が一番印象に残った。 インドネシアの作家だったかな? 開発 好明 のパフォーマンスも観られたし。パルコ 木下 のは見逃したが。 _ _ _ 意外に疲れたので、そうそうに退去してかるく神保町の書店・レコード店を チェックして帰った。はあ。 97/3/30 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕