GW中に行かないとそのまま見逃しそうな気がしたので、連休初日/最終日の 渋滞を避けて4日に水戸に行ったTFJです。 _ _ _ しなやかな共生 "Frexible Coexistence" 水戸芸術館現代美術ギャラリー 97/4/5-6/1, 9:30-18:30 (月休) - Felix Gonzalez-Torres, Permindar Kaur, 石内 都, David Hammons, 嶋田 美子, 和田 千秋 去年から続いている一連のジェンダー/セクシャリティ関連の企画と聞いて いたけれど、それほどそんなことを感じされるものはなく、男女/異人種/ 障碍者といったさまざま共生をテーマにしていた展覧会だった。 といっても、結局、楽しめたのはそういうテーマとは別のところにあった ような気がするのだが。 Felix Gonzalez-Torres の銀のキャンデーが敷き詰められた様はとても きれい。さっそく拾って舐めようとしたら、「飲食禁止です。」と止められ たけれど。Gonzalez-Torres はこういう大量生産品を使ったある意味で 「反芸術」的な作品を作る人という話をきいたことがあるのだが、今まで 写真作品しかみたことがなかった。今回、これを観て、意外にもきれい なのでびっくり。キャンデーを食べさせるだけでなく、もう一アクション あるともっと面白くなるのかな。 David Hammons は、部屋に入るなり、Ornette Coleman の例のへなちょこな alto sax で "Mob Job" のテーマが聞えたのでびっくり。僕の記憶に間違いが なければ、Ornette Coleman "Sound Museum - Three Women" (Harmolodic / Verve, 532 657-2, '96, CD) が音楽に使われていたよう。違う音楽もかかる かな、と、何回か出入りしてみたが、ずっとこれがかかっていた。ちょっと 暗めの空間は意外と居心地が良かった。かかっていた曲が愛聴していた曲 だったからかもしれないが。もう少し暗めの60sフリージャズ − Albert Ayler とか − の方が、それらしいかなー、とかふと思ったけど。 和田 千秋の作品を観ていたら、かつて、Greil Marcus が「ティミンズは この世の悲惨を芸術に変える (これはアリス・ウォーカーの小説にある文句だ)。 ティミンズの感性に照らすと、悲惨な者が必要とする救いはただそれだけだ ということになる。フォーク・ミュージック・リバイバルは、あらゆる野心 的ポップ音楽が自分自身の敬虔さを熟考することに堕してしまわないうちに、 阻止されるべきだ。」[1]と言っていたのを思い出した。そして、それに従えば、 このような作品は「阻止されるべきだ」とも僕は思う。障碍者が必要とする 救いは芸術家になることなのか? (「すべての人は障碍者も含めて芸術である」 と題された作品を思い出そう。) 確かに、この作品でも、障碍者に関する いくつかの議論がとりあげられている。障碍者に対して訓練を行うべきか否か、 キリスト教における障碍者の扱いについて、など。しかし、それは、観客を そういったまだ答のない議論に誘う、というより、むしろ、美談の一挿話と いった具合なのだ。たとえば、キリスト教における障碍者の扱いや、日本に おける恵比須=蛭子信仰など、から、さまざまな宗教での扱いの矛盾というか 違いを提示するとか、そういうことをしても良いような気がするのだ。しかし、 まるで、言っていることが自分自身の体験を語っているのであれば誰にも 批判できない、というかのような障碍の受容の記録は、議論というよりも むしろ無批判な感情移入を誘うものだ。そして、その点において、この作品は、 障碍者が必要とする救いは芸術家になることだ、と言っているようなものだ、 と僕は思う。 参考文献: [1] グリール・マーカス: リアル・ライフ・ロック トップ・テン (11), ミュージック・マガジン, 1989年3月号, pp.96-97. _ _ _ で、水戸からとってかえして、18時頃に無事に東京国際フォーラムに到着。 水戸芸MLのオフに合流することができた。結局、三次会まで。終電まで有楽町 界隈で呑んでました。とても楽しい酒が呑めて○。 97/5/5 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕