前評判もいまいちな UK の映画監督 Peter Greenaway の新作。渋谷シネマライズで 封切られたので、さっそく行ってきた。しかし、封切直後の休日の夕方だというのに 7〜8割の入り。そうかー。 「ピーター・グリーナウェイの枕草子」 "The Pillow Book" - UK / France / Holland, '96, color, 2h7m - a Peter Greenaway film - Vivian Wu, Ken Ogata, Ewan McGregor, Yoshi Oida, Hideko Yoshida, Judy Ongg 前評判もなんのその、実に面白い映画だった。Greenaway にしては判りやすい、 というか、とっつきやすい。 Greenaway の映画で今まで観た − 観ていないものも多いが − 中では、 「数に溺れて "Drawning By Numbers"」('88/'89) が最も好きなのだが、 その映画にも象徴的なのだが、話の流れが「自然」 − 登場人物の心理的 内面性や社会リアリズムなどに基づく物語展開によるものだが − ではなく、 むしろ、複雑なゲームを想起させるほど人工的で、伏線とはちょっと違うの だが仕掛けがやたらにあって、とりかかりつらい感も否めないのだが。 が、この映画は、父と恋人の復讐物語 − という全体はそんなに重要では ないと思うが − という感でぱっと判りやすいような気がする。香港に行く 前のまるで小津のパロディのような白黒画面のところは、詳細は変だけど おおむね「ふつうのお話」のように展開するし、香港へ行ってからの諾子と Jerome の情事にしても意外に「情熱的」に描かれているし。 後から考えると、タイプライターを便所に捨てるシーンあたりから、肉体と 書の世界にぐんぐん入っていくわけだけれども、普通だなー、と思って 観ていると、いつのまにか (というより、あ、始まる始まるという感もあり。)、 肉体の十三の書という非現実どっぷりの世界にもっていかれていると いうのが良いか。「これから私の『枕草子』を書こう」みたいなオチはない だろう、という気もしたが。あと、取ってつけたようなエンディングの ジェネリークもすごい。 全体としては、文学 (というより書) とセックスに関する美的考察という感 なのだが、抽象的概念的なものとしての書と具体的感覚的なものとしての セックスというほど単純な対応をとってはいないけれども、こういう対立軸を 感じさせる、そんな映画ではあった。 いくつかのエピソードの中では、十三の書 − 十三ってだけで最後が処刑 だって予想ついてしまった。− が始まるあたりから処刑までが、Jerome の 皮はいで本にしちゃうし、とても楽しめたが。特に十三の書にどういう文書が 書かれていたのか、無修正ビデオでポーズしながらちゃんと解読してみたい。 読んだら読んだで読まなければよかったと思いそうなところが、恐いが。 中国と日本のイメージの混交だけでなく、枕草子と浮世絵、カナ文学と漢字、 戦後の町工場と軍歌など、あげつらえればいくらでも「不整合」もあるのだ けれど、それが考証の上での作家の意図なのか単に西洋人の東洋観の自然の 反映 (ここを逆手にとっている感が強いと僕は思っている) なのか判断し かねるけど、結果としてそれなりの必然を感じさせる誤用になっているし、 興醒めというより面白いので、良しといったところか。僕が観たときは、 金髪碧眼系の客が目立ったのだけど、彼らはどう思っていたのだろうか、 気になる。 あと、コンピュータ編集しまくった凝った画面が、いやみでなく実にかっこいい。 ウィンドウで画面を割ったり重ねたり。中央に開くある程度大きいウィンドウは いいのだが、特にあやしいのが、画面のあちこちに出てくる小さなウィンドウ。 画面全体から見ると、そこだけ注視するわけにもいかないし、それが大画面に なるときもあるのだけど、そのまま消えてしまうときもあるし。いったいあれは 何が映っていたのだー。 と、とっつきやすいけど、何回も観てみたいという気がしてしまう仕掛けが あちこちにある (単に僕がハマっているだけか) という、あいかわらず Greenaway な映画だった。 97/7/26 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕