夏ばて気味で俄然やる気のない TFJ です。けど、いつのまにか Jasper Jones 展の 会期末が迫っていたので昼過ぎに木場へ。途中、銀座・京橋の画廊をさらりと。 もう休廊してたり常設展だったりと、夏休みだなー。 と、一番印象に残ったものを。もう最終日だったのだけれど。 『共鳴する記憶』展 − 複雑系へ向う五つの表現 村松画廊, 銀座7-10-8平方ビル2F (銀座, 新橋) 97/7/28-8/9 (日休), 11:00-19:00 - 宇田川 リカ, 木村 佳代子, 長谷川 ちか子, 中島 洋和, 坂本 直子 「複雑系」なんて題があるから、ICC (今、ICCでも、Theodor Schwenk "Sensitive Chaos" から題を取った展覧会やっているし。) でやりそうなコンピュータ/ メディアを使った科学ネタの展覧会と思いきや、全然違った。何だよ、この題。 「カオス」「複雑系」って言葉ってそんなに流行っているんですかね。むう。 奥のギャラリーに入って、まず、笠原 恵実子 の作品を連想した。巨大な女性器 (というか膣) を思わせるごつい錆びた鉄管の中央の作品 (長谷川 ちか子) と、 奥の鏡と言葉を使った作品 (作者を忘れた) に、目がいったからということもある。 ギャラリーが明るかったからかもしれないが、第一印象がクールな感があるのは 良いと思う。情念系になりがちな題材だと思うだけに。 しかし、長谷川 ちか子の作品にしても、回転したり音 (というか声) が漏れ 聞こえたりする割には、静的な印象。単に観ているだけという感になって しまった。というか、性の政治学 (sexial politics) の性 (sexuality) の面に 比べて政治 (politics) の面が僕には見えてこなかった。もちろん、僕自信の 問題意識の方向というものもあるし、そういう方向性を意図した作品 (そもそも 性を扱っているというのが僕の深読みし過ぎなのかもしれない。) ではないの かもしれないけれども。 笠原 恵実子 に蓋付き女性器といった感じの作品があるのだが、これは開閉が available / not available − と言うらしい。彼女と話したとき、そういう 表現をした。− に対応しており、このある種の判りやすさが、性的行為の管理や 主導権という政治 (politics) の議論への罠になっているとも思うのだが。 (余談だけれども、この蓋を開けると裏が鏡になっており、開けた者の顔が映る、 っていうが良い。) そういうとっつきやすさ、というか、比喩としての討議場と いう感は、無いように思う。 坂本 直子 によるパフォーマンスとおもわれるヴィデオが隅で上映されていたが、 何かに包まれ床に横になった人がうごめくって感じだったのだが、いまいち 様子がわからなかった。ううむ。 入口側のギャラリーは、奥のギャラリーとがらっと変わって、氷を使った 中島 洋和 のインスタレーション。丸い穴があいた段が数段ある高さ50cm程度の台が たくさん並んでいて、その段には氷の球が。段の穴が下に行くほど小さくて、 解けるうちに下の段に段々と落ちていくもの。涼しげでいい。自転車で汗だくに なっていただけに、ほっとした。 JR東海が屋外にある東京駅新幹線ホームに冷房の代わりに氷柱を置いた、と 先日、ニュースで報道されていた。氷柱の代わりにこの作品を置くっていうのは どうだろう。単に解けていくだけでなく、動きもあるので、ホームで待っている 人も観ていて飽きないと思うし。実用的なパブリック・アートって感じでいいと 思うのだけれど。都内だけでも冷房の無い屋外のホームがたくさんあるし、 置いてみよう、っていう駅はないですかね。屋外の人がちょっと集まるような 所でもいいし。原美術館の Cafe d'Art の庭とか。メンテナンスがちょっと 面倒か。冷房代わりのインテリアとして一台家に置くのもいいかなー、とか 一瞬頭をよぎったけど、露とかで部屋が水びたしになりそう。ううむ。 いろいろ面白そうな使い道がありそうなんだけれどもなぁ…。 _ _ _ その後流れて行った Jasper Jones 展 @ 都立現代美術館 いまいちピンと来な かった。というか、この美術館に行くと、どうも、(現代)美術を楽しみに来た というより勉強しに来たという気分になってしまうことが多い。ううむ。 「的」が描かれた送迎バスは、面白いと思ったけど、自転車だったので乗らなかった。 97/8/9 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕