土曜だというのに朝9時過ぎには家を出た TFJ です。で、上野から快速ラビットで 1時間半、宇都宮へ。さらに西口から作新学院・駒生行きのバスにしばらく乗って 桜通十文字へ。降りたらすぐ栃木県立美術館だ。 揺れる女 / 揺らぐイメージ - フェミニズムの誕生から現代まで 栃木県立美術館, 宇都宮市桜4-2-7 (宇都宮,桜通十文字), 028-621-3566 97/7/20-9/28 (月休除7/21,9/15;7/22,9/16,9/24休), 9:30-17:00 (入館は16:30まで) ということで、「19世紀」「20世紀前半 (surrealism)」「20世紀末 (現代)」の 三部構成で、具象 (人物) 画における女性の描かれ方の変遷が観られる展覧会。 19世紀の絵画はめったにちゃんと観る機会が無いので、それはそれで勉強には なった。が、シンポジウムと併せないと、わかり辛いかな。 やはり、作品として面白いのは現代の作家のもの。ヌードモデルとしての体験と それに対する写真イメージという作品 (作家失念) や、Yana Starback の鎖付き ハイヒールとかよかったし。アラーキーは何故これ? という感もあったけれども。 Cindy Sharman みたいなテーマにぴったりって作家をとりあげていないのは何故? さて、期待は、シンポジウムでコンセプトについて語った笠原 恵実子は1996年の "Pink" 連作9枚。駅の広告看板大のピンクのぱっと見は抽象的な写真が9枚。 内臓をスコープカメラでとらえたものだ、というのは、そういう写真を見たこと があるならば判る。で、どこか、ということだが、笠原 恵実子のいままでの コンセプトから女性器内、それも穴が見えるから子宮口か。と推測したら当りで あった…。彼女曰、子宮/生/浄と膣/性/不浄を分ける点、そして、人が生まれる ときに必ず通る点として、象徴的にここをとらえたとのこと。色のピンクというのも、 女性の、そして性産業のシンボルカラーとして、ピンクを選び、白黒写真に コンピュータで彩色したとのことだった。 それよりも面白かったのは制作のエピソード。子宮口の撮影に協力してくれる 産婦人科医やモデルを探すのに苦労した、というのはさもありなん、とは思った けれども。19歳のモデルがこの撮影に協力したことが「親バレ」してかなり シリアスなトラブルになったというエピソードは、親による娘の性の管理や 産婦人科といったシステムをいろいろ顕にしてくれるものがあって、面白かった ものがあったが。 が、しかし、シンポジウムにおいても話題になったが、こういった「裏話」を 知らないととっかかりが無い作品だな、とも思った。以前の "Lamb" や "Three Directions" といった作品は、説明されるまでもなく、という感もあったが。 今回の "Pink" とだけ題された抽象的な写真を観て、どれだけの人がひっかかり を持つだろうか。何年か後にはっと判るときがあればいい、と作家本人は言って いたし、すぐに判る必要もないと思うけれども、そもそも観客の印象に残ら ないと…。というより、呼ばれればできるだけ話をしに行く、と言っていた ように、もはや、そういうトークと併せて作品、という形になっているような 気もする。"Lamb" もそんな感もあったけど。ううむ。 さて、そんな 笠原 恵実子 もパネラーだった、 シンポジウム「揺れる女 / 揺らぐ男」 栃木県立美術館, 宇都宮市桜4-2-7 (宇都宮,桜通十文字), 028-621-3566 97/8/30, 13:30-16:30 - 若桑 みどり, 富山 太佳夫, 笠原 恵実子 は、若桑 みどり (『戦争がつくる女性像』(筑摩書房) の著者ですね。) が 中世以降の女性像をマクロに図式化してみせ、富山 太佳夫 ( S. ソンタグ 『隠喩としての病』(みすず書房) の訳者だったのかー。) が19世紀イギリスの 女性像をミクロに見て図式化から外れる多様性を示し、最後に 笠原 恵実子 が 自作のコンセプトやエピソードを話、と、実に相互補完的で、ほとんど論戦と なる要素がなかった。ううむ。3時間、飽きるどころか、あっというまだった ので、実にいいシンポジウムだった。が、時間がおして、パネラーのトーク だけになってしまったので、シンポジウムというよりレクチャーか。 Surrealism がかなり男性的なものであった、というのは、以前から知っていたが、 その図式における状況として快楽主義を挙げていたのが興味深かった。ロックに おける快楽主義の結果との関連で。あと、現代美術の女性作家が女性器をよく モチーフにすることに触れて、男根主義との対比で女性器主義と呼んでいたのは、 なるほど、という感も。 しかし、聴衆は男1に女4という比か。それも、あまり若い人がいない。 「そうよそうよ」とかあいづち打ちながら熱心にノートをとっていた女性が 近くにいたりしたが、そういう人を相手にこういう話をしてもしょうがないの ではないか。ちょっと興味があって来た一般客を想定していたようだけれども、 僕が見るに一般客はあまりいなかったと思う。僕が栃木県立美術館に着いたとき、 ちょうど、高校生くらいの女性が6人ほど連れだっていたのだが、そういう客は いなかった。むしろ、そういう客こそに聴いて欲しい話だったと、僕は思う。 97/8/31 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕