三田線を延々と高島平へ。駅前はいかにもニュータウンなのだが、送迎バスに 乗って美術館のまわりに行くと、あまり高層のマンションもない緑の多い住宅街 に様子がかわってまた意外だった。 Art in Tokyo No.9 - 私美術のすすめ 板橋区立美術館 (西高島平), 03-3979-3251, 500円 97/9/6-10/19, 9:00-16:30 なにもかも私的なものと思うことができる高度情報化社会においては、私的な ものの表出は、奥深い尊ぶべきものというより、うぬぼれというか非現実的で 反動的なものになりかねないと、僕は思う。 最近、仕事で WWW を見ていたときに、ある研究者のサイトに「このサイトは、 自分の好みのリストや妻や愛犬の写真を載せたりしている "vanity site" では ありません。」と書かれているのを見つけたのだけれども、ここでの vanity とは、 まさにそういうことだと、僕は思う。 だから、この「私美術のすすめ」という題を見たとき、なかり反動的な印象を 受けた。実際に観てみて、意外と良い展覧会だな、とは思った。その一方で、 やはり違うなという違和感も感じた展覧会だった。というわけで、ここでは、 違和感を中心に。 河原 温の "Date Printings" などの作品ではないけれども、いわゆる日記風の 作品 (今井 祝雄、光野 浩一) ってけっこうあるのだなぁ、と、ふと思って しまった。しかし、"Date Printings" が他人の作品と交えながら展示される ことによってまた違う様相を帯びうるのに対して、むしろ、自己完結している ように感じた。それが、その日記風の作品が、「私的なものの表出は、奥深い 尊ぶべきものだ」と主張しているかのように感じられる理由でもある。 悲惨の唯一の救済は芸術になることである、という美学に反対する (by Greil Marcus) ということ関して言えば、和田 千秋 と 太田 三郎。シベリア抑留者に 関する文章の引用の作品 (太田) にしても、「単声」的なせいか、ちょっと 感傷的。もっと矛盾を、といったことろか。切手アートで知られる 太田 三郎 の "Post War" の方は、こんな作品もあったのか、ということで、こちらは ちょっと新鮮な感もした。 もちろん、ここに出展されているほとんどは、私的なものをわざわざ他人に 見せるに値するように努めているものだと思う。が、それが必ずしもうまく いっているとはいえないし。むしろ、難しいものだと、ふと思ってしまった。 WWW に個人サイトを持っている自分にしても、いわゆる vanity site が溢れる 中で、いかに、わざわざ他人に読ませるだけに値するものを書くか、ちょっと 考えさせられてしまった。 97/10/19 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕