22日に水戸までギャラリー・トークを聴いてきた。 クリテリオム31 - やなぎ みわ 水戸芸術館 現代美術ギャラリー 第9展示室, 水戸市五軒町1-6-8, tel.029-227-8120, http://www.soum.co.jp/~mito/ 97/11/1-11/23 (月休;11/3開;11/4休), 9:30-18:30 _Artforum_ 誌の97年Summer号の135頁に Louise Lawler, _She Wasn't Always A Statue (A)_, 1996-97 という白黒写真作品が載っている。古典的な女性の 彫像の複製を何体も奥行きのある形で並べたものを撮影したこの写真を観た ときに思い出したのは、6月に銀座の画廊で開催された『Post-womanhood』展の 一環として観た、村松画廊での やなぎ みわ の作品だった。 奇妙に豪華な日本のデパートのがらんとした店内に派手な服の案内嬢が 無表情に居並ぶ合成カラー写真に、そこに性と経済の社会機構のちょっとした ファンタジーを観たような気がしたけれども。今回の水戸芸での新作でも ヨーロッパで撮影したものもあるが、基本的には作風は変わらない。 「彼女はいつも案内嬢だったわけではない。」とでもいうべきメッセージを そこに見るのは容易だろう。 22日にギャラリー・トークで作家自身の話を聞いて、その多くの写真の中に 消失点が映っていること、それに向かって無限に続く道がある、ということに 気付いて、ちょっとはっとさせられるところがあった。無限の差違化の反復、 というより、欲望の無期延期という近代の悪夢という気がしたけれども。 しかし、その一方で、トークを聴いて実生活にたちもどってぐっとくる所は なかったかもしれない。笠原 恵実子 の "Lamb" に関するトーク (原美術館, 95年) でのベッドルームでの苦闘や、"Pink" に関するトーク (栃木県立近代 美術館, 97年) での女性器の管理といった話題に至るような、そんなきわどさ が無いというか。撮影のトラブルとしても、アダルド・ヴィデオの撮影と 勘違いされた、というものはあったが。ギャラリー・トークの場のノリが 運悪くそうならなかっただけかもしれないが。 ただ、性・政治・経済の三題話としては、テーマとして"政治"の部分が弱い ということはあるのかもしれない。そういう意味では僕にとってはちょっと もの足りないところはあったかな。ううむ。 97/11/23 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕