岩井 俊雄 ― 映像装置としてのピアノ Galarie Deux, 目黒区柿の木坂2-10-17 (学芸大学), tel.03-3717-0020 98/1/27-3/25 (日月祝休), 11:00-18:00 MIDIの自動演奏ピアノと、鍵盤のところから上と手前に伸びる2枚の半透明な スクリーンからなる作品。手前に伸びるスクリーンに投影されている鍵盤に 向かってスクロールしていくグリッドを、トラックボールでカーソルを動かし ボタンでグリッドを選択して模様を書いていくと、選択されたグリッドが スクロールしてある位置を越えると鍵盤に向かってすばやく動き、その位置の 音がなり、上に伸びるスクリーンに虹色の模様が舞っていく、というもの。 トラックボールをどんどん動かして音を出していると、確かに単純に面白い。 けれども、何か単調というか物足りないこともある。思ったような音が出ない という感じもある。 白鍵の音しか出ないこともあり、でたらめにトラックボールを動かしても、 長調の明るい感じの音が出てくるということもある。それもメロディアスな。 そう、カーソルの軌跡はまさにメロディなのだ。このシステムだと、メロディを 描くのは容易だが、リズムを描くのは困難だ。頑張れはできないわけでもない だろうが。その結果、出てくる音は、極めて調性志向かつ旋律志向の音だ。 ピアノを使った音楽というと、普段は現代音楽の非調性的なピアノ曲だったり Cecil Taylor のようなフリージャズを普段親しんでいるせいか、そういう音しか 出せないのは、妙に不自然に感じてしまう。 もちろん、ピアノという楽器が持つ限界もあると思う。最近、僕が気にしている ことの一つに、フリージャズ/即興のシーンにおいてベース抜きのギター (チェロ) ・トリオという構成が基本的な構成になりつつある、ということがある。これは、 70年代に流行したベース抜きのピアノトリオというフリージャズの基本的な コンボの形態から、コード楽器がビアノからギターもしくはチェロに入れ替わった ものなのだが。そしてその変化では、電気的な効果の可能性というより、むしろ 音程的、時間的な自由度の問題が効いている。ピアノは、鍵盤で音の高さが 量子化され、かつ鍵盤を叩いて音を出すため時間軸にも量子化されている、 ともいえる。ギターやチェロではその量子化の枠が無いのだ。 もちろん、ピアノは量子化されているからこそ、この「映像装置としてのピアノ」 のような作品が実現しやすい、ということはあるのだろうが。 そして、このメロディ志向の強いピアノを使った作品を触っていて、ふと Ornette Coleman のことを思い出してしまった。彼は Harmolodic 理論の名の下で 「メロディとリズムは対等である」とメロディの優位性に対して異議申し立てを する一方、Paul Blay のクインテットから独立してピアノ抜きの自身のカルテットを 結成して以来、最近再びピアニストと共演するようになるまで、実に40年近く ピアニストとの共演が無かったのだった。 98/2/28 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕