この2月に観た Tracey Emin, Georgina Starr, Gillian Wearing, _English Rose_ も 印象的な Georgina Starr と Gillian Wearing が出展しているということで、 はるばる宇都宮まで行ってきた。 Real/Life - New British Art 栃木県立美術館, 宇都宮市桜4-2-7, tel.028-621-3566 98/4/12-5/31 (月休,4/30休,5/6休), 9:30-17:00 - Mat Collishaw, Willie Doherty, Ceal Floyer, Anya Gallaccio, Douglas Gordon, Mona Hatoum, Gary Hume, Sarah Lucas, Georgina Starr, Sam Taylor-Wood, Gillian Wearing, Rachel Whitehead 一番笑わせてもらったのが、Georgina Starr, _Drivin' On_ ('96)。赤いハリボテの 自動車とそれを実際に乗りまわした記録のビデオ、あと音、からなる作品。映像と 音は独立している。車は足で地面を蹴って進むのだけど、Georgina Starr が運転する 様子が、これがかなりカワイイ。すごくポップでお茶目な仕上がりがいい。展示されて いるハリボテ車 (ちゃんとヘッドランプとテールランプが点灯している。) に仕掛け られているスピーカーから流れる音はイギリスのラジオかそれ風に編集されたものの ようなのだが、僕が観ていたちょうどそのとき、The Smiths, "Is It Really So Strange?" (シングル _Sheila Take A Bow_ (Rough Trade, '87) のB面の曲) が かかってウけてしまった。歌詞の中の♪I left the North, I travelled South, ... And is it really so strange? 「イングランド北部を離れ南部を旅した。…で、 それってそんなに変なことかな?」って歌詞の部分が、Georgina Starr のハリボテ車 での奇妙な旅に、妙にマッチしているような気がしたからなのだけれど。けれども、 いつもこの曲がかかっているわけではないので、これは偶然かもしれない。 _English Rose_ を観て以来ちゃんと観てみたいと思っていた、Gillian Wearing, _Signs that say what you want them to say and not signs that say what someone else wants you to say_ ('92-93)。街中で人に「心に浮かんだこと」を白い紙に 書かせて掲げさせた様子をおさめた写真作品。写っている人から受ける印象と 書かれていることの微妙なズレが実に面白い。_Artforum_ の表紙や、今回の展覧会の ポスターにも使われたりしているのだが、やっぱり、スーツを着た若い男性が曖昧な 笑いを浮かべながら "I'm Desperate" と書かれたサインを持っている作品がとても 印象的。対照的に、おばあちゃんが "I really love Regends Park" ってサインを 持っている写真も、とっても可愛らしくていいなぁ。 Gillian Wearing, _I'd like to teach the world to sing_ ('95) は、街中で花柄の ワンピースを着たいろいろな女性に Coca Cola の瓶の口を吹いて「ぽー」という音を 出してもらっている様子をひたすら編集したビデオ作品。神妙な顔つきになって瓶を 吹く人々の顔も面白い。人によって残っているコーラの量が違い、それにって音の 高低を付けてある。音だけ別に編集しているのかもしれないけれども、たどたどしい Coca Cola のコマーシャルのメロディが聴こえるよう編集されているのも、面白い。 そう、Georgina Starr, _Drivin' On_ にしても、Gillian Wearing, _I'd like to teach the world to sing_ ('95) にしても、_English Rose_ と共通する、観ていて 思わず笑ってしまうような、茶目っ気すら感じる作品である。しかし、その笑いは、 _Drivin' On_ であれば、少なくとも「優雅なカーライフ」など笑い飛ばす程度の 射程は優にある、そんな辛辣さも孕んだものであると僕は思う。そして、それが 彼女たちの作品の一番の魅力だと僕は思う。 さて、Sam Taylor-Wood, _Atlantic_ ('97) は、別れ話でもしているんだろうか、 という男女の様子を写したビデオ・インスタレーション作品。左右正面の3面の壁 いっぱいにビデオが投影されている。左に泣きながら話している女性の顔のアップ、 右にダバコや紙を神経質そうにいじくる男性の手のアップ、正面にはレストランの 中の様子―そしてその中には焦点はあてられていないもののそのカップルの姿も 見える―が映し出されている。と、映画的でもあるのだが、3面にわたるため、 特に部屋の中央にいると、全体の状況が把握し難い。例えば女性の顔を見ていると 男性の手元が見えない。それが、面白い。この _Atlantic_ は去年のヴェネチア・ ビエンナーレに出展されたものだそう。むしろ、彼女は、Pet Shop Boys の'97年の Somewhere ツアー (_Bilingual_ (Parlophone, '96) の際のツアー) での彼らとの コラボレーションの方が知られているかもしれないが。 と、まず印象に残ったのは、造形的というより社会的アプローチを強く感じさせる という意味でポップなビデオや写真の作品なのも確かだが、その一方で、Ceal Froyer, _Light_ ('94) のように、点灯していない白熱電球に四方からプロジェクタで光を 当てて光らせている作品も、一瞬、あれ? って思わせるようなものがある。 Tracey Emin, Georgina Starr, Gillian Wearing, _English Rose_ にしても、 この『Real/Life』展で印象に残った Georgina Starr, Gillian Wearing, Sam Taylor-Wood らの作品にしても、ある意味で私的ともいえるドキュメンタリー 性を持っている一方、それは全く私的な表現形式ではなく、むしろポップな記号 ―ポップ音楽や映画、Coca-Cola のような商品など―で組み上がっている。 しかし、その組み上げ方は、決して、ボップな記号への私的思い入れの肯定と いったものに繋がるものではない。むしろ、それはイギリスの脱パンク期の ポップに起きたことに近いのかもしれない。 となるとポップは個人の希望やロマンチックな空想というよりも意識的に共有して いる社会的事実の問題、スペクタクルというよりも演説の問題、メッセージという よりも座談や議論の問題になりうる。ポップは公共の場所という様相を呈し、 そこではポップの素材が―大部分はロマンチックな空想と私的希望―衆人の吟味に よって変化させられる。私的希望が社会的事実に転じられる。 -- Greil Marcus [1] 参考文献: [1]グリール・マーカス「ダダとパンクとポストパンクII」in『ロックの「新しい波」』 晶文社, '84. 98/5/2 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕