『恋するシャンソン』_On Connait La Chancon_ - France/Swiss/England, 1997, color, 2h - Directed by Alain Resnais. Scenario & Dialogue by Agnes Jaoui & Jean-Pierre Bacri. - Sabine Azema (Odile Lalande), Andre Dussollier (Simon), Anges Jaoui (Camille Lalande), Jean-Pierre Bacri (Nicolas), Lambert Wilson (Marc Duveyrier), Pierre Arditi (Claude), Jane Birkin (Jane) かつて Greil Marcus は「歌詞つきの一篇の音楽というものは矛盾である。」と 言った[1]。これに言い回しを倣えば、歌つきの一篇の映像というものは矛盾である。 そして、この映画の魅力もその矛盾だ。 このフランスのヴェテラン映画監督の新作は、実に36曲のシャンソン〜ヴァリエテ (フレンチ・ポップ) が挿入歌として用いられている。それもサビの部分のみ。 映画のあちこちのシーンで、他の音が消され歌のサビが挿入される。歌声や演奏は オリジナルのレコードのまま、それに合わせて、登場人物が口パクで歌い出すのだ。 ある意味でミュージカルと同じ手法であるが、この映画では、それは登場人物の 気持ちを表現したり、場面を説明したりするものではない。この映画では、 物語、もっとミクロにその場面を異化するように、唐突に口パクで歌が挿入 されるのだ。それも、笑いを伴うように。 例えば、冒頭の場面。第二次大戦後期、ドイツ占領下のパリで、占領軍の司令官 コルティッツがヒトラーから「パリを破壊せよ」という電話を受けるシーンがある。 その電話を受けながら、コルティッツはいきなり Josephine Baker『二つの愛 "J'ai Deux Amours"』('30) のサビ「私が愛するもの二つ/祖国とパリの街/ その地にいると/いつも心ときめくの」と口パクで歌い出すのだ。そして、その サビが終わると、我に返ったように、ヒトラーの命令を無視する意志を示すかの ように電話を切る場面が続くのだ。無粋なナチス将校と Josephine Baker の歌声の ミスマッチだけでもかなり可笑しいのだけれども。それに、コルティッツが ヒトラーの命令に反してパリを破壊しなかったときの気持ちが『二つの愛』の サビにそのまま込められているとも思えないのだけれども。むしろ、このいくらか お互いを裏切るような組み合わせは、歌と映画の異なる解釈の余地を作り出している。 それも笑いを伴って。そして、この映画の一番の魅力はこの矛盾が生み出す開放感と 笑いだ。この映画の冒頭の場面だけでも、つかみは完璧だ。(と、説明するだけでも、 ギャグを説明するようで、無粋に思えてしまうような映画なのだが。) もちろん、登場人物も味があっていい。思い込みが激しくて勝ち気な感じの Odile Lalande (演ずるのは Sabine Azema) とか、Nicolas (Jean-Pierre Bacri) と Simon (Andre Dussollier) のうつ病ダメ男コンビが、特にいい笑いを引き 出している。Nicolas と Simon が二人並んで呆然と座った所で「よい友達をもつ ことはかけがえのないことだ/よい友達がいれば悲しいことも忘れるさ」と歌い 出すシーンが最高。あちこちの病院へ通う場面で Nicolas が歌う『体の悪い僕』も その強迫的なノリが可笑しいし。 『恋するシャンソン』(原題 _On Connait La Chanson_ は「誰かはその歌を知って いる」という意味。) という邦題や「フランスを幸せいっぱいに包んだ、とびきり ぜいたくな愛の賛歌」というキャッチコピーは、恋愛物語を想像させるものがあるし、 確かに物語の中には、恋の鞘当てやうまくいかない夫婦関係といった、恋愛の物語も 折りこまれている。しかし、この映画の一番の鍵は depression かもしれない。 それは、主な登場人物のうち三人もがうつ病気質 (depression) ということもある。 しかし、2年間職が無い青年 (それを不採用にしてしまった良心の呵責からか、 Odile はドタバタを繰り広げるのだが。) や、やはりパリに出てきたものの仕事も 家もみつからない Nicolas といった人物のことを思い出してみるといい。そして、 映画の最後から一つ前の場面で、Camile と Simon の会話「うつ病 (depression) は、 どのくらい続く?」「さあ、僕の場合は4年。」「あなたが?」「軽くなるときもある。 例えば幸せなとき。ずっと気が楽だ。」を聞くとき、僕にはそれは「不景気 (depression) は、どのくらい続く?」という会話に聞こえてならないのだ。 最後にホームパーティのシーンで矛盾が衝突してバラバラになる、という展開は、 Resnais の名作『ミュリエル _Muriel ou Le Temps R'un Retour_』('62) を思い 起こさせるものもあるのだが。歌の口パクという手法もあってドタバタ気味で展開 してきた映画の最後、パーティ後の人がいない乱れた部屋の中、Odile の父親が 静かに一人歩き、テーブルからCDを拾い上げ、「覚えがある題名だな。この歌を 知っている人は。」(この台詞から原題は取られている。) と言って終わるなんて、 Jacques Tati のコメディ映画のエンディングのような意味でしんみりした感じも あって、ぐっとくる。笑いに溢れた二時間の後にはぴったりのエンディングだ。 Alain Resnais といえば、Margrite Duras の小説を映画化した『二十四時間の 情事 _Hiroshima, Mon Amour_』('59) や、Alain Robbe-Grillet が脚本を書いた 『去年マリエンバードで _L'annie Dernniere A Marienbad_』('61) といった Nouveau Roman の作家との組んだ、実験的で難解といわれる作風で知られる 映画監督だ。その政治性も含めて、Jean-Luc Godard と対比されることも多い。 しかし、80年代に入って、メロドラマ劇パロディ映画『メロ _Melo_』 ('86) を撮ったり、と、最近はこういった作風がハマっているのだろう。 参考文献 [1] G. マーカス, 「記号論とニュー・オーダー」in『ロックの「新しい波」』 晶文社, 1984. 98/8/19 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕