ホンマ タカシ『東京郊外』 Takashi Homma, _Tokyo Suburbia_ パルコギャラリー, 渋谷パルコ パート1 8F, tel.03-3477-5873. 98/12/4-99/1/10 (1/1休), 10:00-20:00 『CUTIE』『H』『SWITCH』『花椿』といった雑誌での仕事で知られるという写真家 の展覧会、ちょっと話題になっていることもあって観てきた。 ぱっと観た印象は、ぼんやりとした写真というもの。ピンボケというほど焦点は ずれていないのだが。焦点深度は意外と浅めで、むしろ、わざと焦点をずらして いるように思われる。被写体になっている子供たちの顔も、はっとさせるような 強い視線でカメラを見ているというより、ぼんやりとした感じではあるのだが。 被写体として選ばれているのは、郊外に造成された集合住宅、ファミリーレストラン やブティックホテル、そして、そこにいる子供たち。一から開発されたような郊外の 街を選んでいることもあり、その地の過去の歴史を感じさせるような町並みや 田園も見えない、徹底的に近代的な風景だ。 僕が気になったのは、ファミリーレストランやブティックホテルを撮影したものだ。 なぜなら、ファミリーレストラン、コンビニエンスストア、ガソリンスタンドと いった商業施設は、街中の商業施設の中でも、システム的にもデザイン的にも最も 徹底的に近代化されているものだからだ。 そして、Edward Ruscha, _Twentysix Gasoline Stations_ (1962) というアメリカ 西海岸の郊外のガソリンスタンドを撮影した、タイポロジー的な写真作品のことを 思い出した。そして、Edward Ruscha の写真は「規格化されたスタンド」[1]を 見据える強さがある。たとえ、その画面が恐ろしいほどに空虚だとしても。 良かれ悪かれ近代化を推し進めてきたことに対する自覚を思わせるような。 しかし、ホンマ タカシ の写真には、それは無い。ぼんやりした画面は、むしろ、 ぼーっとしている間に街にファミリーレストランやコンビニエンスストアが溢れて しまった、そして、当然あるものなのだ、とでもいうような感覚を思わせる。 それが90年代的な感覚 (僕はそうは思わない。むしろ、戦後の日本の近代化は、 ほとんど意識的には気絶したまま経済的な慣性だけで進行しているように思う。) なのだ、この写真はその反映なのだ、と言えばそうなのかもしれない。その意味 では良い写真かもしれない。 しかし、僕にはそのような感覚はいくらか受け入れがたい。ファミリーレストラン やコンビニエンスストアが外食産業や小売業の徹底的な近代化の追求の中から 生まれてきているものだと意識させるような、そして、その日常化してしまって いる光景を改めて議論の上に乗せるような、そんな作品を僕が求めているからだ。 そして、それなら、Edward Ruscha, _Twentysix Gasoline Stations_ (1962) の 方が遥かに強度のある作品だと、僕は思っている。 [1] David Hickey, "Edward Ruscha: _Twentysix Gasoline Stations_, 1962", _Artforum_, Jan 1997. 98/12/28 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕