1998年に観た展覧会・公演・映画など10選。 第一位: Merce Cunningham Dance Company, 日本公演 (1998年), 新宿文化センター (新宿), 98/10/24, ダンス・パフォーマンス. _Scenario_ での、'97春夏コレクションで話題になった Comme des Garcons (川久保 玲) によるコブコブの衣装を着たダンサーのユーモラスな動きが、 そのブティックの思わせる蛍光燈が並んだ舞台で繰り広げられるのも、目を惹く ものがあったが、ほとんど舞台の上など気にするようすも見せず、エレクトリック ・ヴァイオリンの演奏に没入する 小杉 武久 の発するオーラも凄く、つい舞台で なくそちらを観てしまうこともあったほどだった。 第二位: 『名作椅子に座る ― 武蔵野美術大学美術資料図書館近代椅子コレクションより』, 武蔵野美術大学美術資料図書館, 98/11/26-12/25, デザイン展. デザインの近代主義を体感するのにうってつけの展覧会。なんてことを考えずに 写真や映画の中でしか見たことのなかった興味深いデザインの何十脚という椅子に 実際に取り回したり座ったりすることができる、というだけでも、素晴らしい企画だ。 50脚もの椅子に対して体圧分布測定と体感調査の結果を載せたカタログも力作。 第三位: 『Real/Life - New British Art』, 栃木県立美術館, 98/4/12-5/31, 美術展. Tracey Emin, Georgina Starr, Gillian Wearing, _English Rose_, The Ginza Art Space, 98/1/21-3/1, 美術展. 「ポップは個人の希望やロマンチックな空想というよりも意識的に共有している 社会的事実の問題、スペクタクルというよりも演説の問題、メッセージというよりも 座談や議論の問題になりうる。」(by Greil Marcus) としたら、その可能性を具現 したのが、この展覧会かもしれない。_English Rose_ で三人がお互いを演じる とき、「私的希望が社会的事実に転じられる」ように感じられる。 第四位: Alain Resnais (dir.), 『恋するシャンソン』, Bunkamura ル・シネマ, 98/8, 映画. この冒頭の場面、第二次大戦後期、ドイツ占領下のパリで、占領軍の司令官 コルティッツがヒトラーから「パリを破壊せよ」という電話を受けるシーンで、 その電話を受けながら、コルティッツはいきなり Josephine Baker『二つの愛 "J'ai Deux Amours"』('30) のサビ「私が愛するもの二つ/祖国とパリの街/ その地にいると/いつも心ときめくの」と口パクで歌い出す。それだけでもこの 映画は成功している。歌と画面のお互いを裏切るような組み合わせが生む解放感と 笑いがたまらない映画だった。 第五位: Tracey Mackenna & Edwin Janssen, _Ed and Ellis in Tokyo_, 都内各所, 98/10/2-25, イベント. 10月18日に行われた東京で最大の構築物である首都高速をぐるぐる走るバスツアーで 眺めた東京は、戦後に無理を伴う急速さで開発された東京を実感するのにうってつけ のイベントだった。 第六位: 『ヨーロッパからの8人』, 群馬県立近代美術館, 98/4/11-6/14, 美術展. 『眼と精神―フランスの現代美術』, 群馬県立近代美術館, 98/8/8-9/6, 美術展. Philippe Cazal, _Retour En Avant_, 北関東造形美術館, 98/5/9-6/21, 美術展. 新たにオープンした現代美術棟の空間を生かした、ヨーロッパの現代美術を紹介する 展覧会は今後の展開を期待させるものだったが、常設展示室とのあまりの落差も 気になるものがある。北関東造形美術館やノイエス朝日、ハラ・ミュージアム・ アークなど群馬界隈の現代美術の拠点が気になった一年だが、そんな中では、 シチュアショニズムへの感傷も感じなくはない Philippe Cazal の展覧会が印象に 残った。 第七位: BuBu & 嶋田 美子, 『Made in Occupied Japan』, オオタファインアーツ, 98/5/10, 美術展 / トークショー. 若桑 みどり, et.al.,『女性写真家のまなざし ― 1945〜1997』, 東京都写真美術館ホール, 98/6/6, トークショー. ジェンダー/セクシュァリティを扱ったトークというのは、性差別状況の糾弾する ようなものになって、居心地の悪いものが多いのだが、BuBu & 嶋田 美子 のそれは、 辛辣な笑いによってそれを避けてつつ常識を異化する力があったように思う。 それに比べて、若桑 みどり のトークは正攻法なのだが、話のテンションの高さも、 前提を明確にして論を進めるその切れ味が、それを楽しめるものにしている。 第八位: 磯崎 道佳『いつかどこかで、あるいは つづく つづく つづく』, ギャラリー日鉱, 98/12/3-25, 美術展. Gilles Coudert (dir.), 川俣 正, _Kawamata Projects by Gilles Coudert_, ユーロスペース, 98/11-12, ビデオ作品. 磯崎 道佳 の作品制作を手伝った後に 川俣 正 のドキュメンタリー映画を観る ことによって、単純な立体造形の楽しみを体感し確認することができた。また、 その映画を観た後に、磯崎 道佳 の展覧会を観ることによって、彫刻的な造形 ― もしくは post-彫刻 でもいうべきインスタレーションの抱える問題について考え させられてしまった。 第九位: 畠山 直哉, 『BLAST & camera obscura drowing』, ギャラリーNWハウス, 98/9/16-28, 美術展. 採石場での発破の爆発の瞬間をアップで捉えた写真の迫力も凄いが、それを 小さなフリップブック (パラパラ絵本) 化したユーモアが印象に残った展覧会 だった。『写真の現在 ― 距離の不在』(東京国立近代美術館フィルムセンター 展示室, 98/2/10-3/28) でみた、ライトボックスを使った集合住宅の夜間照明を 捉えた作品も、トリッキーな所にユーモアを感じるなど、タイポロジーで済まない 魅力を感じたものだが。それだけに、カメラ・オブスキュラを使って描いた ドローイングには納得がいかない。 第十位: Frank Stella and Kenneth Tyler,『構築する絵画』, 町田市立国際版画美術館, 98/6/20-7/28, 美術展. アーティストではなく版画工房の方に焦点を当てた版画展が目につくようになったが、 この展覧会場で上映されていた Frank Stella と Kenneth Tyler のコラボレーション の様子を捉えた30分弱のドキュメンタリ映画で聞かれる Frank Stella と Kenneth Tyler の会話は、まるでポップやロックのドキュメンタリ映画でのミュージシャンと スタジオ・エンジニアの会話のようだった。この映画を観た後に、改めて、ほとんど 同じ版を組み替えたり色を変えたりして作成された一連の作品を観て、これらの 版画における「リミックス」や「サンプリング」について、考えさせられてしまった。 次点: 『建築の20世紀―終わりから始まりへ』, 東京都現代美術館, 98/7/10-9/6, 建築展. Grete Lihotzky の _Die Frankfurter Kueche_ をきっかけに、建築やデザインに かなり関心を持った一年だったが、_Die Frankfurter Kueche_ の実物を観ることの できたこの展覧会は、それに応える僕にとってはタイムリーな企画だった。 谷中 (Art-Link) にしろ青山 (Morphe) にしろ、街中イヴェントが全く面白く思え なくなってしまったのだが、そんな中では、Navin Rawanchaikul の『マイペンライ 東京』(ワタリアム, 98/9-99/1) や、博多で観た『博多ドライヴ・イン』(福岡市内 各所, 98/10) は、タクシー・ラーメンと併せて強烈な印象を残した。 番外特選: 『May Cafe in □ ― "You are what you eat"』, Command N/□, 98/9/4-19, インスタレーション・カフェ. 8月に水戸の茶室で体験した茶懐石は衝撃的なまでに快い体験だったけれども、 それを契機に改めて近代的な食文化に目が向いたのも事実だったし、それが、 『May Cafe in □』のようなインスタレーション・カフェへの興味にも繋がった とは思う。しかし、『flow #6.3』(駒場寮中寮屋上, 98/9/5) を体験したときは、 駒場寮の良い感じに荒んだ空間の暗さと空の広さの気持ち良さの前には、どうでも いいように思ってしまったのも確かだが。 1999/1/1 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕