川俣 正『東京プロジェクト ― New Housing Plan』 galerie deux, 目黒区柿の木坂2-10-17 (学芸大学), tel.03-3717-0020 1999/1/23-4/10, 11:00-18:00 (日月祝休) 既存の建築物をとりまく空間などに仮設の構造物を作り出すインスタレーション 作品で知られる 川俣 正 の新たな東京でのプロジェクトは、今までとはいささか 違った印象を受ける作品だった。 都内南西部三個所に自販機の家 (世田谷区瀬田)、工事フェンスの家 (世田谷区上町)、 看板の家 (大田区南千束) を作り、そこに「モニター」を一週間住まわせる、と いうもので、この展覧会では、その家をギャラリー内に生活感をいくらか残した 感じで再現し、ドキュメンテーションを残すというものだった。 既存の空間を異化するようなインスタレーション作品ではなかったせいか、彫刻/ 造形的な面が希薄で、むしろこのような作品を成立させた条件というものが気になる 作品であった。実際に、既存の空間を異化するようにではなく、空間の隙間にひっそり と存在したものだ。いや、実際は存在しなくてもいいのだが。実際、生活をしている 間に、その場所を見学させるようなことは行っていない。 1/22のオープニングに行われた、作家と 隈 研吾 (建築家)、小林 康夫 (表層文化論) の三人によるシンポジウムも、ある意味でそれに関する点があったが、議論において、 芸術におけるロマンチックな記名性/匿名性の問題と社会における私的/公的の問題 が混乱していて、いささかピントがずれている所があるように感じた。そもそも、 ロマンチックな作家性など持ち出して今更どうする、と思ったが。 僕が話の中で一番興味深いと思ったのは、一週間の仮設の家での生活の前に、川俣 が 「モニター」に渡したものだった。一週間の生活費、携帯電話、消化器、近くの コンビニエンス・ストア、銭湯や公衆便所の場所、緊急時の警察等の連絡先などの 生活に必要な情報、というものを一式、川俣 はモニターへ渡したという。さらに、 もしものときのため、保険まで掛けたという。それに、その仮設の家には電気が供給 されているのだ。 そこにあるのは、近代的な都市生活だ。現在の公衆浴場・便所は都市の清潔で健康な 生活を維持する近代的な上下水道システムによって成立しているものだし、それは 安定した送配電を行う電力システムにしてもそうだ。コンビニエンス・ストアは 小売業における近代化を徹底することにより24時間少量多種の商品を販売することを 可能にしたシステムだ。保険にしても、警察や消防にしても同様だろう。そして、 この一週間の生活を可能にしているのは、都市における徹底した近代化のおかげで 成立しているサービス供給システムなのだ。川俣 正 がモニターに渡したのは、 近代的な都市生活の基盤となるセット一式なのだ。 それでは、小林 が強調していたように、近代都市基盤に基づく生活はそういった 近代的な都市に寄生した生活なのか。僕はそうではないと思う。彼らは、保険も かかり、携帯電話で連絡を取り、生活費を持ってコンビニエンス・ストアで買物を している。身寄りも連絡先もなく、ファーストフードの残飯を食事にした、という わけではないのだ。つまり、彼らはちゃんと都市におけるサービスを買って生活して いるに過ぎない。そしてそれは、多くの都市生活者と同じだ。 近代的な住宅においては、確かに台所、居間、サニタリ (風呂や便所) というものが 備わっているものが多い。しかし、それは必ずしも当然のものではない。近代住宅の 黎明期、マテリアル・フェミニストは台所の無い住宅と共同炊事場を提案した。 それは、今や、ファミリー・レストランやファースト・フードとして実現している ともいえる。 近代的な生活・家事の徹底した機能による分節化と、その家事サービスの産業化の 結果、現在多くの家事サービスがアウトソーシング可能になっている。その家事 サービスに対応した設備・空間は、もはや住宅にある必要が無い、食堂や台所は ファミリー・レストランに、食品棚や冷蔵庫はコンビニエンス・ストアに、サニタリ は公衆浴場・便所に、居間や応接間は居心地のいい喫茶店に、書斎は図書館に…。 そして、現時点て徹底して生活をアウトソーシングした結果、分節化しきれなかった 生活の残滓が、あの 川俣 の家での生活なのかもしれない。 そして、このプロジェクトにおける 川俣 の家は、機能により分節化された空間に よって充填された都市の隙間 ― 工事現場は機能分化前の空間としては象徴的だろう。 それをも、都市は自動販売機や看板で埋めようとするのだが。 ― にあるのだ。 徹底的に分節化された近代的な都市の隙間で生きた、徹底的に分節化された近代的な 生活の隙間の生。しかし、反ユートピア的な暗さはそこにはない。むしろ、そこに 近代の理念=自由をも積極的に見出してすらいるようにも感じさせられてしまう。 そんな徹底した近代生活の姿を見せ付けられたような気がした、展覧会だった。 川俣 は、この後、女性用の住宅や二世帯住宅へと展開していきたい、と言っていた。 しかし、独居住宅ほど、このプロジェクトに似合ったものはないだろう。近代に おいて同居家族は大家族から核家族へと縮小されていっている。そして、もはや 夫婦や恋人同士ですら同棲する必要は無いのかもしれない。今や、ベッドルーム だってラヴホテルにアウトソーシングできるのだから。 1999/1/23 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕