『なぜ、これがアートなの?』_Is This Art?_ 水戸芸術館現代美術ギャラリー, 水戸市五軒町1-6-8 (水戸;泉町一丁目,大工町) tel.029-227-8120, http://www.arttowermito.or.jp/ 1998/12/19-1999/3/22 (月休;3/22開;12/28-1/4休), 9:30-18:30 - Marcel Duchamp, "Fountain"; Cindy Sherman, "Untitled"; Anish Kapoor, "Void #3"; Fischli & Weiss, "The Way Things Go"; Daisuke Nakayama, "Delicate Hand-shaking"; James Turrell, "Soft Cell"; Sophie Calle, "The Blind", etc 元 MoMA, NY の教育担当 の Amelia Arenas の同題名の本に基づく展覧会。 日本国内は川村記念美術館、豊田市美術館と巡回しているが、水戸芸術館での 展覧会を観てきた。Amelia のギャラリー・トークが売りという評判の展覧会 だが、彼女のトークはおろか、本も読んでいないし、美術館のヴォランティアに よるギャラリートークも体験していないので、主催者の意図通りと鑑賞とは いえないのかもしれないが。その前提をもとに、展覧会についてコメントしたい。 作品の脇にキャプションが付いていないのは、それ無しに作品そのものに集中 して欲しいという意図なのだろうが、形式的に類似した作品を固めて置くような 展示は、一つの作品に集中できるものでなかったし、その並置された作品の 取り合わせの妙が面白いものでもなかった。各コーナーの頭に書かれた言葉も あってか、むしろ啓蒙的な暑苦しさを感じる並置だったかもしれない。 普通の展覧会の方がずっと作品にのめりこめるような気がした。これでは、 思わず、展覧会にまともに向かうのをやめて、作家当てでもしたくなるような 気分になってしまう。 キャプション無しの展覧会というと、河原 温 の作品と1966年以降のアメリカの 写真作品を交互に並べただけの _Pictures of the Real World (In Real Time)_ (原美術館, 1995) を思い出す。これは、河原 温 の作品が、写真作品を異化 するようなキャプションとして作用していたところもあって、それが効果的 だったと思うのだが。そういう意味でも、キャプションを付けない、のではなく、 従来の作家、タイトル、制作年からなるようなものではなく、効果的な キャプションを付けることの方が重要なのではないか、と思った。 有名な作品が多く、僕ですら3点に2点はキャプションを見ずとも作家が判る ような展覧会なので、それほど新鮮味ははなかったけど、インスタレーション などは現場感が重要だし、猛烈なチョコレートの匂いが立ち込める Helen Chadwick のような、初見で印象に残った作品もあった。という意味では、 楽しめる余地もあった。 だた、正直言って、『なぜ、これがアートなの?』という題名は、僕にとっては かなりズレた問題提起でしかない。『なぜ、これがアートと言われるの?』で あれば、まだしも。展覧会会場で、この展覧会の元々の題名を知ったのだが、 それを文字どおりに訳せば、『これはアートなのか?』だ。「なぜ、これがアート なの?」という問いの前提には、展示されているものが「アート」であるという 前提が含まれてしまう。「これはアートなのか?」という問いである場合、展示 されている物が「アート」ではないということもありうるし、展示作品に対して 「これはアートではない。」と観客が答える余地が残っている。そういう意味では、 もともとの主旨は、それほど押し付けがましいものではなかったのかもしれない。 その一方で、会場の出口に置いてある小さなパンフレットを読む限りでは、 Arenas は結局、展示されているのは「アート」である、という前提のようでも あるのだけど。展示の最後に、Sophe Calle, _The Blind_ (1986) を持って くるのは、最後にアートのイデオロギーを明らかにする意図があるようにも 思えるのだけれども。 けれども、展示全体からは「作品そのものを自由によく鑑賞してください」の ようなアートのイデオロギーを、そうとは思わせないようなやり方で観客に 植え付けていくような感じもあったし、そんなことなら、教科書的にアートの イデオロギーの歴史的社会的成立過程を作品で見せ付けて、そのイデオロギー 性を自覚させたほうが、実は美術教育にはいいのではないか、と思うところも あった。 1999/2/7 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕