クリテリオム38 ― 高島 陽子『Lesson』 水戸芸術館現代美術ギャラリー第9室, 水戸市五軒町1-6-8 (水戸;泉町一丁目,大工町) tel.029-227-8120, http://www.arttowermito.or.jp/ 1999/2/6-3/22 (月休;3/22開), 9:30-18:30 暗くしたギャラリー。一方の壁の上に設置されたプロジェクタから対する壁に、 おおきく女性の顔のヴィデオ映像が投影されている。部屋の中央に円形の鏡が 吊るしてあるため、投影された顔のうち、口の部分が丸く切り取られたように なっている。反対の壁には鏡で反射された口が丸く投影されている。しかし、 鏡はその中央に唇型にハーフミラーもしくはレンズ状の細工がなされており、 丸く映し出された口は変形して2重映しみたいに移っている。部屋の中は幼い 子供の片言の言葉が残響深めに響いており、それに合わせてヴィデオの顔は発声 練習するかのように口を動かしている。 そんあ大きく映し出された顔と、幼い子供の片言の響き具合が、不気味に感じ られた作品だった。作家本人は、ユーモアのつもりのようだったが、僕自身が、 幼い子供の片言の言葉に、個人的な思い入れがない、ということもあるかも しれない。 2/7の作家のトークでは、作品は自叙伝的な面がある、と冒頭で名言したのだが、 それが私小説的なものではないのは、海外 (カナダ) で美術を勉強して発表を 続けているということも、あるのかもしれない。日本語の語彙に詰まりながらも 明確にコンセプトを語るトークは、今まで聴いた「クリテリオム」のトークの 中で最も面白いものだった。― 作家の問題意識は、自分のものとは合わない 所があったにも関わらず、だ。それだけでも、聴きに行った甲斐があった。 スライドやヴィデオで観た彼女の作品は、題材として、ミクロ・ポリティックス、 特に家庭の政治学 (ドメスティック・ポリティックス) を扱っている、という 意味では、とても興味深いと思う。例えば、男女の共同作業としてのセックスを 表現したという、女性の胸が女性の手になったり男性の手になったりするヴィデオ インスタレーション _Islands Burning_ にしてもそうだろう。歯磨きをしている 口を大写しするような作品にしても、私的なものと公的なものを転置するような、 マクロなポリティクスとミクロなポリティクスの関係を思わせるような作品も多く、 興味深かった。トークでは、作家は単純な転置の面白さのようだったが。そう誤読 する余地のある作品だったと思う。 ただ、トークを聞いていて思ったのだけど、セックスの (これに限らないのだが) 私的な面をいささか信じ過ぎているように思う。トークを聴く限り、確信犯的な 面もあるようだし、彼女がフェミニズムから置いている距離はまさにそこにある のだと思うが。僕からすれば、やはり「ベッドルームでの苦闘は/それほど私的な ことなのだろうか?」ということが問題なのだと思うだけに。そして、その甘さは、 一部の作品 ― 例えば、子供 (甥) を題材にした作品などがいまいちに感じる 原因ではないかと思うのだが。 形式的には映像 (フィルム、ヴィデオ、スライド) のプロジェクションを多用 する作家のようで、スライドとヴィデオ・ドキュメントだけでは、その雰囲気が 掴み兼ねるところもあった。というわけで、これについてはコメントしづらいの だけれども。日本での作品発表が今まで無かった作家だし、もう少し他の作品を 体験してみたいとは思った。 1999/2/7 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕