『秋葉原TV』 秋葉原電気街, 千代田区外神田 (秋葉原), http://www.akiba.or.jp/ 1999/2/27-3/14 Command N, 台東区上野1-2-3犬塚ビル (湯島), tel.03-5812-7506. 1999/2/27-3/14, 13:00-20:00, http://www.sfc.keio.ac.jp/~kazhiko/akitv.html - 河野 寛子, 石住 卓哉, イチハラ ヒロコ, 小金沢 健人, 鈴木 真吾, 関井 雅博, 立木 泉, Device Girls, 歳森 勲, 中村 政人, 藤 浩志, 眞島 竜男, 佐佐木 誠, David D'Heilly, Patricia Piccinini, Katharina Copony, Gregory Maass, Peter Bellars, Alasdair Duncan, Tracy Mackenna & Edwin Jansen, Didier Courbot, Kosit Juntaratip, Lee Wen, Lee Sang-Yug, Kim Nayoung, Myeong-Eun Shin, anonymous (Gomen Rider). 秋葉原電気街で商品見本として店頭に展示されているテレビモニタを使っての、 期間場所限定のヴィデオインスタレーション展が開催されている。一作家最高一分の 超短編作品を繋げて40分余りの長さに編集したものを、秋葉原電気街の30店舗の 店舗で、営業時間中に上映している。 しかし、実際に秋葉原の街中を歩いてみると、予想以上に歩道からモニタ画面が 見える場所は少ない。一階は携帯電話売場になっていることが多いし、そもそも 街全体が家電からパソコンへ主力が移ってしまっている。携帯電話とパソコン、 ではなく、テレビ、というところが良くも悪くもこの企画のいささか流行から ズレた位置を表わしているのかもしてない。 それほど派手に盛り上がったイヴェントではないし、どきつい広告が溢れる街の 中ではむしろひっそりやっている感もある。秋葉原の街を異化するような強さは 全くない。もっともあの街を異化しようというのであれば、もっと金をかけて 組織的にやるべきで ― Malcolm Maclaren が punk を仕掛けたときのように。 もしくはTony Wilson が Factory レーベルを立ちあげたように。いずれも Situationist の流れを受けたものだが。― 『秋葉原TV』のような手作り的な やり方は最初から向いていないだろうが。ただ、さりげなく目を惹くくらいの ものはあるし、それで良かったように思う。 実際に店頭で『秋葉原TV』のヴィデオが流れているところを観ると、内容それ 以前に通常のテレビ番組とかなり質感が異なるものであることがわかる。 コントラストが強くて粗く、パンの動き方やカットのタイミングがぎこちない。 もちろん、一般のTV放送やゲームなそのエンタテイメント界での制作とかけて いる金も力も比べるまでもないのだが。悪く言えば素人の撮るホームビデオ的とも 言えるし、良い意味でLo-Fiな適度な脱力感があると言える。通常のTV放送の画面 作りがいかに特殊なのか暴くほどは強烈ではないが、前を通る人にTV番組ではない ものが映っていると思わせるくらいの癖にはなっていると思う。個人的にはこの 質感の違いが最も面白かった。 Command N のギャラリースペースでも作品を観たときの印象を含め、参加している 作品を個別に観ると、最も印象に残ったは、Didier Courbot, _The Final Straight to Las Vegas_ と Izumi Tachiki (立木 泉), _Southern Calfornia in January_。 特に後者は抜けるように明るい Calfornia の空と、 高速道路の高架、観覧車、 桟橋の脚などを幾何パターンのように捉えた画面が、Edward Ruscha の写真の ようでかっこよかった。ただ、確かに、パンやカットのリズムは別として、 Lo-Fi感が無いので目を惹く強さにかけるかもしれないが。街中で観ていても、 Lo-Fiな画面の間にちょっと匿名的に入るのがブレイクになっていて良かった ように思う。街中で目を惹くのは、確かに 藤 浩志『うたをうたう』― ヴィデオ カメラをマイク代わりに歌を歌ったものを収録したもので、口元のアップが映し 出されている。― の方がインパクトがあるとは思うが、そういうものが続くと、 逆に異様さがひきたたないとも思う。Peter Bellars, _Massage_ のように時間 展開する物語を持った作品は、Command N のようなスペースで観る分にはいいが、 店頭では1分でも長すぎるように思った。 この展覧会は、秋葉原電気街のあちこちで、それも店内のどのモニタで上映するか 指定されていない状態で、同じ編成のビデオ作品が上映されているにも限らず 「サイトスペシフィック」と銘打っている。僕が始めてこの展覧会の案内を 受け取ったとき、とても違和感があった。しかし、6日に Command N 行われた アーティスト・トークを聞いて、秋葉原電気街の店頭で非定期的な期間に上映する ことに多くの作家がこだわっていることを知り、イデオロギー的にサイト スペシフィックを強く指向していることがわかった。これは、作品における (近代芸術的) な作家性の主張、つまり、作家が見せたいと思った状況ででしか 見せたくない、ということでもあるのだが。それだけでなく、時間的空間的に 限定することによって、本来ビデオが持っている複製可能性を制限することに アウラを生じさせよう、という意図も感じさせるものである。この『秋葉原TV』と いうイヴェントをポップなものではなくアートとしているのは、ヴィデオ映像の 形式的内容的な特徴ではなく、このような「サイトスペシフィック」を指向する イデオロギーだと、僕は思う。 1999/3/7 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕