ウラジミール・ソローキン, 亀山 郁夫=訳, 『愛』 (文学の冒険シリーズ / 国書刊行会, ISBN4-336-03960-7, 1999) - Vladimir Sorokin, _Sbornik Rasskazov_, 1992 - 20cm X 15cm X pp.300, hard 現代のロシアの小説作家の短編集。発表は1992年なので、ペレストロイカ以降と いうことになる。250頁余りの中に17編、平均15頁程度の短編だ。 この短編集は全編にほぼ共通する構造がある。ロマンチックな展開もそこそこに、 いきなりエログロ (セックス、スカトロ、死体) の世界に飛んで終わり、とでも いうような構造だ。その相転移の瞬間は、第一編の「愛」における約2頁にわたる 「…」だけの行や、第9編「真夜中の客」における約1頁にわたる空白のように、 物理的に明白な形式を持っているものもある。ひらがなで言葉を繰り返すだけに なったり、ゴチックのフォントが混じるようになったり、文体が変ったり (こういう表現は、翻訳する前がどうなっていたのか、気になるものであるが。) と相転移に、形式が明白な形をとることが比較的多いこともあるが、そうで なくても、描かれている内容にしてもかなりの違いがあるので、すぐ判るものだ。 この相の差が凄い。何かのスイッチがプチッっと入るような感覚だ。 さすがに17編も続くと、短いインタ−ヴァルでのスイッチの切り替えに辛い ところも無いわけじゃないが。あと、第16編の「出来事」のように、途中で相が 何回か変化するものは、凝り過ぎな気もするのだが。というわけで、あまり丁寧に 順を追って読まずに拾い読みをしたほうが楽しめるかもしれない。 しかし、ソビエト/ロシアにもポストモダン文学があったのか。というか、 作家の Sorokin は、もともと 1970s に Ilya Kabakov ら美術におけるソッツ・ アート〜コンセプトゥアリズムの界隈から出てきた人で、1985年に初めて小説を 発表したという経歴を持つらしい。Kabakov も作品に合わせて短編小説とでもいう テキストを作ることが多いが、それも ― エログロでないにしろ ― 同じような 背景を持っているのだろうか。 ソッツ・アート〜コンセプトゥアリズムは、名前は聞くのだが、実際に作品を観た ことがあるのは、Kabakov くらいだ。その Kabakov にしても Vladimir Tarasov の ような free jazz / improv のミュージシャンと共同プロジェクトを続けていた わけだし。こういう文学や音楽との繋がりも含めて、この界隈を概覧できるような 展覧会や資料本があれば、嬉しいのだが。 1999/3/21 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕