Sicilia, Italy のローカルTV局を拠点に活動する映像作家 Daniele Cipir & Franco Maresco の作品が Image Forum Festival 1999 で上映されたので、観てきた。 Daniele Cipri e Franco Maresco, _A Memoria_ - Italy, video, 1996, 41min. Sicilia の Taormina Arte 1996 (http://www.telecolor.it/taormina-arte/) で 発表された41分の短編作品。 Cipri e Marsesco の作る画面は、コントラスト強めの白黒画像で、粗く無く 綺麗なのだけれど影の部分が黒くつぶれている。画面上部というか、建物や山の 高い方や空の上の方を暗くする処理をしており、影の付き方が不自然に感じられ、 シュールな感じを強く出している。映し出されている光景は、廃虚同然の石作りの 古い町並み、高い木の生えていない荒涼とした草原の山の中。カット中にカメラが 動くことは希で、風で揺らぐ草木や流れる雲以外で画面の中で動いているのは 登場人物だけ。登場人物は全て男で、ブリーフパンツ一丁だったり、ぼろの服を まとっただけだったり、奇妙な魔法使い風だったり。これらの登場人物が、 特に明確なストーリーもなく、激しいアクション抜きの「ドタバタ」を演ずると いう感じだ。サイレントということもあって、1920年代の白黒サイレント喜劇の 流れを汲むともいえるかもしれない。しかし、ノリはやはり現代的な感じだし、 その絶妙な間合いに、白黒の奇妙な画面もあって、とってもシュールな映画だ。 爆笑というより、にやにやしてしまうような、面白さ。 この初演時は Steve Lacy の soprano sax の solo のライヴが付いたのだが。 今回の上映では、そのライヴの録音を付けていた。この Lacy の飄々とした 感じの音色の、音数少な目の絶妙な間合いの soprano sax の演奏が、この映像 作品のノリにぴったりハマっていて、これがとても良かった。おそらく、映像を 見ながら即興で演奏していったとおもわれる展開だ。ストーリーを追う代わりに、 Lacy の演奏を追いかけながら、映画を観るという感じだ。Lacy のライヴ付きで 観られなかったのが、とても残念だった。ちなみに、途中、マイクから遠ざ かって音がフェイドアウトしたようになったり、エンドロールのバックでライヴ 演奏の後の拍手の音が流れたりしていたのも、ライヴ録音を思わせてくれた。 画面も綺麗だし、Lacy の solo 演奏も良いし、映画館でちゃんと観ても良いし、 B.G.V. 使っても良さそうな作品だった。 Daniele Cipri e Franco Maresco, _Cinico TV_ - Italy, video, 1991-1997, 81min. こちらは、1991-1997 の間に作られたTVシリーズや短編を今回の IFP'99 のために 編集したもの。画面の上を暗くしたコントラスト強めの白黒画面、カットの間は ほとんど動かないカメラ、などは、_A Memoria_ 同様。ただ、こちらはサイレント ではない。"Cinico TV" (「皮肉テレビ」) というショートコントがこの作品の あちこちに入っているのだけど。これは、Cinico TV がインタヴューするという ものなのだけど、インタヴューの相手が「ゲイの性交の後に捨てられたコンドーム」 だったり「泥酔して死体安置所で寝ていて間違えて埋葬されてしまった浮浪者」 だったり、と、設定が変だし。こういったショート・コントの絶妙な掛け合いと 間合い、オチがあるんだかないだかわからないような展開が、ストレートに可笑しい 出来だ。いささかわかりやす過ぎるかもしれないけど。こういうショート・コントが、 _A Memoria_ と似たような短編 _Il Manicchio_ (1996) や、画面の粗いポルノ映画 らしき映像や雲に見え隠れする太陽を捉えた映像などの比較的抽象的な画面の間に 挿入されている、という編集になっていた。いささか散漫だったかもしれないけど、 途中のショート・コントのおかげで飽きなかったかもしれない。 というわけで、期待通りのシュールな笑いが楽しめた、そんな Cipri e Maresco の 映像作品だった。しかし、この手のシュールさは、東欧系 (Czech のアニメや Poland のイラスト・ポスター) のそれではなくて、むしろ、ラテンアメリカ系 (いわゆる幻想文学) に近いような気がする。 1999/5/5 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕