ゴキブリコンビナート『粘膜ひくひくゲルディスコ』 1999/5/22, 14:00- フジタヴァンテ (代々木) - 作・演出: 斉藤 寿幸 (a.k.a. Dr. エクアドル). 出演: 高松タイヂ山, 滝田須比呂平太, 竹田オメス吉祥寺, 石井悦子, 福永淳, 陸流人, 古澤祐介, ボボジョ貴族, 眼鏡博士, Dr. エクアドル, 森孝, ビッケ, 安藤ヒヤシンス子, 森野久美子 一部で話題の劇団、ゴキブリコンビナートが、今年の『ガーディアン・ガーデン 演劇フェスティバル』に出ているので、二日目の一回目の公演を観てきた。 物語そのものというより、身体をハった演技がとても面白かった。目も離せない スリリングなアクションというより、いささか間が開いた感じ絶妙で、実にギャグ っぽい。その場でどっと笑うというよりも、あとで思い出して苦笑するとか、 そういう類のものなのだけれど。あと、被り物の妙な悪趣味加減。ジャムやペット フードなどの他、どろっとした感じのものが舞台の上で多用されるのだけれど、 それもパイ投げにも似たようなセンスがある。演ずる本人たちは、あまり笑いを 狙っているわけではないようだけれども。 いわゆるフリークスをテーマに扱っているので、かなり際どいギャグだとは思う けれども、そのような舞台の動きがそれを救っていたと思う。というか、劣等感や 憎悪の笑いへの昇華の具合が良かった。ふと、山下 洋輔がそのエッセーで紹介 していた人種差別ギャグを芸風とするNYの大道芸人を思い出したり。もちろん、 どろどろした感じは違うけれど。それは日本的というより、ゴキブリコンビナート のキャラクターのように思う。そう、良い意味で大道芸的な演劇かもしれない。 最前列に座ってみていたのだけど、芝居が終わってから膝にかけるよう入るときに もらった新聞を見たら、舞台から飛び散ってきたジャムなどの小片がいくつか 付いていた。舞台の上での殴り合いで使われていた箒が、(おそらく手が滑って) 客席の僕のすぐ隣に飛び込んできたり、と、そういう点では、なかなかスリリングな 観劇ができたのかもしれない。 ゴキブリコンビナートのセンスは、動物の被り物の悪趣味さやパイ投げ的なスラップ スティックな感じといい、伝統的なアングラ的な気持ち悪さとはかなり違っている ように思う。後半のテレビゲーム的な話運びにしてもそうだが。この芝居では 「フリークス」の健常人に対する憎悪という形をとっていたが、むしろ、作品の 原動力でもある憎悪の出所はもっと広い所にあるように思う。それは、芝居の 出だしで、わざわざ客からどこから来たか尋ねたうえでそれを無視して「横浜、 本厚木、大宮、我孫子から、私たちの芝居を観にわざわざ*上京*してきてくださり、 ありがとうございます。」と言ったところに現れているかもしれない。フリー ペーパー『愛住町13-10』に載った 斉藤 寿幸 (Dr. エクアドル) のインタヴューで、 そのとき、全ての原因は「階級」にあると思ったんです。世界は階級でできて いると。自分はそこから逃れられないと。それがゴキブリコンビナートに流れる テーマの源になるんですけど。ファミレスは底辺です。 と彼は言っている。そしてそういう自分を「ヤンキー階級」と言う。国道16号線や それより郊外にある街、その大通り沿いにたくさんあるファミレス、そして、 そこに集まるヤンキー階級。それだけなら、巷に溢れるサバービア話と同じだろう。 しかし、それを底辺と明言するその明確な政治観が、ゴキブリコンビナートの 被り物の悪趣味さやパイ投げ的なスラップスティックな演技 ― あえてギャグとは 言わないけれど ― を確かなものにしているように思うし、それこそが、彼らの 最大の魅力だと思う。 そして、それは、その提示されているものは全く逆の形をとっているように見える けれども、ツクバとヤンキーを美的に捉えている 明和電機 の舞台の強さとも同じ ものかもしれない。 1999/5/22 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕