『身体の夢 ― ファッション OR 見えないコルセット』 _Vision Of The Body: Fashion or Invisible Corset_ 東京都現代美術館, 江東区三好4-1-11木場公園内 (木場), tel.03-3272-8600, http://www.via.or.jp/~imnet/mot/ 1999/8/7-11/23 (月休;10/11開;10/12休), 10:00-18:00 (金10:00-21:00) 主に20世紀のファッションと、ファンションを題材と扱っている現代美術と、 現代美術と協働するファッションを扱った展覧会。ファッション史を概覧できる ようなものではないので、ある程度の予備知識が無いと漠とした感じを受ける かもしれない。比較的わかりやすいフェミニズム的な視点を持った展覧会で、 個人的には楽しめたけれども。(それについては後述。) コルセット (corset) やクリノリン (crinoline) のような前世紀以前の象徴的な ファッション用具と、それを題材に使った現代の美術作品やファッションを並置 するところから始まる。それに続く20世紀のファッションのコーナーが コルセットから女性を開放した Paul Poiret のドレスから始まるのは妥当だと 思うけれども、それ以降は特に年代順に展示されなくなる。1920年代 (第一次大戦) 以降のファッションは、その表層が流行として消費されているけれども、規定された 身体の形状の変化はもはや伴っていないという意味で一緒に扱えるということ なのだろうが。年代順ではないということで、服を観て年代を当てて遊ぶことも できるのだが、1920sと1960sのものは比較的よく当たった。映画とかでそのころの ファッションに親しんでおり、その特徴を良く覚えているということもあるの だろうか。 ファッションに関する展示は、日本で企画した展覧会であるせいか、日本の デザイナーのものが多く取り上げられていたように思う。やっぱり目立つのは、 三宅 一生、川久保 玲、山本 輝司 など。青山のブティックのディスプレィで 観たことがあるか、それと類似の服だったりしたけれども。海外のデザイナーでは、 知らないデザイナーだったけれども、スペインの Christbal Balenciaga の 1960年前後の服がシンプルで面白い形を出していたのが気にいった。それから、 1998年春夏のパリ・コレクションにおける 川久保 玲 (Comme des Garcons) との 協働で、ハンガーに掛けた状態でモデルに持たせる、という演出が話題になった Martin Margiela のジャケットが出展されていたのだが、それで、実はハンガーに 掛けたときの状態で平らになるのが特徴のものだったということを知ったり。 フロアが変わると、ファッションと現代美術の協働に焦点が当たるわけなのだが、 三宅 一生 と 川久保 玲 (Comme des Garcons) の対比が興味深いものがあった。 三宅 一生 は "A-POC (A Piece of Cloth)" というチューブ状のジャガーニットの 生地から様々な服の形状を切り出すといったプロジェクトに焦点が当たっていたが、 そういう素材の新しさや造形の工夫など、服というメディア中での自律的な試みを 強く指向しているように思える。(ファッションのコーナーで観られる "Colombe" ドレス (1991) などは、その手の試みの製品として良い完成例かもしれない。) "A-POC" では 草間 弥生 と協働しているのだが、むしろ彼女を服というメディアに 引き込んでいる感じもある。 一方の 川久保 玲 (Comme des Garcons) は Cindy Sherman の写真を使っての ダイレクトメールや、Merce Cunningham のダンスでの協働が取り上げられていた のだけれども。それらの協働は、服のメディアの自律性というよりも、その周囲 でのイメージ作り、他のメディア・ジャンルへの浸入の方を強く指向している感が あるのだ。しかし、Merce Cunningham のダンスで使われた服の展示が、普通の ショーウィンドウのようだったのが残念だった。できたら舞台のような、せめて Comme des Garcons のブティックのように、蛍光燈を使った展示にして欲しかった。 ショーで Comme des Garcons との協働をしたこともある Martin Margiela は、 _Exhibition (9/4/1615)_ (1997/1999) という現代美術的なインスタレーションを 出展していた。これは、Margiela のコレクションからシーズンことに1着選んで、 スタンに着せて屋外に並べて黴を生やさせるというもの。まだ薄汚れている程度 だったせいか、いまいちピンとこなかったが。 現代美術に関する展示については、今までに観たことのある作品が多かった。 そんな中で印象に残ったものをいくつか。 クリノリンを象った女性の乗り物 Jana Sterbak, _Remote Control_ (1989) が、 そのパフォーマンスのドキュメンタリ・ビデオで観ることができる。5年ほど前に 実物が展示されている状態で観て以来、パフォーマンスを生で観たいと思って いるのだが。 イギリスの若手女性作家 Georgina Starr の _You Stole My Look_ (1997) は、 彼女のアーティスト本でドキュメントを観ているのだが、このようなファッション 展の中で観ると、チャチな感じというかポップさがいっそう際立っていた。 Slaverylook がテーマの作品なので、それでいいのだけれども。 日本の作家では、やなぎ みわ のデパート嬢シリーズも悪くはないのだけれど。 笠原 恵実子 の _Manus-Cure_ (1997) は、様々なマニキュアの色と色の名称を ミニマルに並べただけの色見本のようなコンセプチャルな作品。遠目に見た 色の傾向 (赤系が多いのは言うまでもない。) はもちろん、「色見本」の名前を 見ていくと、普通の色の名前や単なる番号のような名前の中に、妙に意味深長な 名前が浮かび上がるのが、とても面白い。そして、そうして浮かび上がる名前は ジェンダーを強く意識させるものなのだ。さらに、題名になっているマニキュアの 語源 _Manus-Cure_ の "Manus" は「手という意味であると同時に、かつてローマ法 において夫が妻に対してもつ権利を意味した」(笠原 恵実子) という。相変わらず、 コンセプチャルにも鋭い作品を作っている。 はじめて観た作家では、Pipilotti Rist のビデオ・インスタレーション _Sip My Ocean_ (1996) と _Ever Is Over All_ (1997) は映像は普通の イメージ映像の域を出ていなかったように思うが、その背景に流れる本人に よると思われる歌声が妙に気に気になった。音としては斬新ではないけれど。 近隣のギャラリーに音が漏れまくっていたのは、まいったけれども。 最後に一つ難点を挙げておくと、極めて西洋中心主義的なファッション史観のみを 提示していること。確かに20世紀においては「洋服」が国際様式になったので、 それを中心に据えるのは判るのだが。ほとんど女性の服のみだというもの、 はじめからフェミニズム的な視点を前提にしていたからだとは思うが。そういう 視点は、判りやすいものではあったけれども、いささかステロタイプで単調に なりがちだったように思う。例えば、『パサージュ展』@ 世田谷美術館 (1999/7-9) に出展している Majida Khattari のチャドルをモチーフにした作品は、そういう フェミニズムをもう一つの移民問題というアイデンテティ・ポリティクスで脱構築 するような面白さがあったわけだが、そういう作品がこの展覧会にもあれば、 もっと懐の広い展覧会になったのではないかと思う。 1999/8/15 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕