地蔵盆踊り大会 常光寺, 大阪府八尾市 1999/8/23, -23:00 東京の錦糸町河内音頭盆踊り大会に通うようになって4年、一度は本場でどのように 河内音頭が踊られているのか観てみたいと思っていた。今年、思い切って、河内音頭 発祥の地、八尾の常光寺の盆踊り大会に臨んできた。初めて錦糸町の河内音頭盆踊り 大会を体験したときは、こんなに過激な盆踊りがあるのか、と思ったが、常光寺の 盆踊り大会を体験して、その対比から、文化の近代化についてつくづく考えさせ られてしまった。 近代化というのは、単に、エレクトリックギターなどが使われるようになったり、 CDなどがリリースされるようになっている、ということを意味しているだけではない。 実は、僕は、大阪に来るまで、なぜ、常光寺の盆踊り大会が8月23,24日に行われて いるのか、よくわかっていなかった。というのは、僕の生まれ育った東京界隈では 地蔵盆の行事が無かったからだ。大阪では常光寺だけでなく南北御堂でも地蔵盆の 行事が開催されていたし、TVのローカルニュースでは、地蔵盆の様々な行事を 伝えていた。常光寺の盆踊りも、明らかにそういう行事の一つとして行われている。 実際、地元のちょっとした盆踊り大会として開催されていたと思う。 一方、錦糸町河内音頭盆踊り大会は、地蔵盆にある程度合わせているとはいえ、 地蔵を祭った寺で開催されているわけではなく、地蔵盆の行事という文脈から切り 離された踊りとして楽しまれている。その感覚が、実に近代的だと思うのだ。 もちろん、地蔵盆という文脈から切り離されているかどうか、のような大枠だけの 問題ではない。常光寺の流し節正調河内音頭は、僕が親しんできた錦糸町の 河内音頭とかなり異なるもので、ほとんどビート感は無いし、踊りもすり足が 中心のものだった。実際に踊ると激しいけれど、見た目はおとなしいものだ。 (錦糸町でも、内の輪で踊っている人たちを見てはいるけれど。) その違いは、 Mento (Ska 以前の Jamaica の音楽) と Ragga の差くらいはあるのではないだろうか。 さらに、錦糸町での河内音頭では、輪の中でいろいろな踊りを踊っている人がいるし、 そもそも同じ踊りでも合いの手のタイミングがズレていたりする。しかし、常光寺 では、少し崩して踊っている人はいるけれども、ある囃子に対する踊りは決まって おり皆は同じ踊っているし、合いの手のタイミングがズレることはない。常光寺でも 21時からは (正調河内音頭に対する) 新河内音頭になったのだけれども、それでも、 全体で踊りが一致しているのは同じだった。そして、錦糸町の河内音頭での踊りの 自由度の高さも、近代的なように思える。踊りのズレや混交の許容と、文脈が異なる コミュニティでの許容というのは、表裏一体の関係にあるようにも思えるし。 実際のところは、そんなことを考えてばかりいたわけではなく、汗だくになって 踊っているうちに、頭の中は真っ白になってしまっていたりしたのだが。新河内 音頭に入ったきたくらいの頃から、雨がぱらついたりもしたけれど、どのみち 汗で濡れていたので、ほとんど気にはならなかったし、踊っている人たちも気に してはいなかった。 1999/8/24 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕