1999年に観た展覧会・公演・映画など10選。 第一位: ゴキブリコンビナート『ロワゾ・ブル ― 譫妄編』, 中野ひかり座 (中野), 1999/9/24, 演劇. 初めて観た彼らの公演『粘膜ひくひくゲルディスコ』(フジタヴァンテ, 1999/5/22) も、特に主題歌が強く印象に残ったけれども。中野ひかり座に作り込まれた空間の方が トータルで彼らの魅力を良く引き出していた。『好き・好き・ハロウィーン』 (クラブチッタ川崎, 1999/10/30) での寸劇を含め、今年のこの3つの公演に、 疎外的/抑圧的な社会システムにおける美の創造の瞬間を、観たように僕は思う。 第二位: Strange Fruit, in 大道芸ワールドカップ in 静岡 1999, 1999/11/3-7, 野外/空中ダンス. 4年ぶりに観に行った 大道芸ワールドカップ in 静岡 では、ジャグラーやクラウンの ような芸だけでなく、Fura の空中ダンス芸のようなパフォーマンスも楽しめたのだが、 そんな中で、Strange Fruit の空中ダンスのパフォーマンスは、ポールをしならせ 揺らしながら踊る、という限られた動きの中に様々なニュアンスが付加されていく 様子がとても面白いパフォーマンスだった。いや、青空に映えていたというだけでも、 人目を惹くのに充分だったのだけど。 第三位: Majida Khattari, in 『パサージュ:フランスの新しい美術』,世田谷美術館, 1999/7-9, 美術展. Arab 系の音楽を B.G.M. を使ったファッションショーというだけでも充分気になる ところがあったのだけれど。Charles Trenet, "Douce France" を B.G.M. に使った エンディング、それも、トリコロールのチャドルに、移民許可書 (Carte de Sejour) で作られたウエディングドレス、で、このインスタレーションは完璧なものになった。 ジェンダーと民族、この二つのアイデンティティ・ポリティクスの衝突が生み出す 矛盾が互いを脱構築する瞬間を、この作品は生み出していた。 第四位: Anish Kapoor, _Recent Works_, SCAI The Bathhouse, 1999/4-5, 美術展. 特殊な青い顔料で塗られた床に掘り込まれた穴は、全く奥行き感の無い感覚を、 記号的な部分をほとんど介さずに、直接訴えてくるような強さがある所が、魅力的 な作品だった。1992年の Documenta IX でのその作品の噂は耳にしていたけれど、 実際に観たときの驚きは、それで弱まったということは無かったと思う。 第五位: 『ワイマール時代の諷刺画』, 町田市立国際版画美術館, 1999/8-9, イラスト展. 1920年代前衛に興味がある身としては、その当時の美術作家をシミュレーションした 現代美術展 Ilya Kabakov, _Life and Creativity of Charles Rosenthal_ (水戸芸術館現代美術ギャラリー, 1999/8-11) も興味深いものがあったけれども。 しかし、Ilya Kabakov が創作した美術作家 Charles Rosenthal の活動時期でもあり、 ワイマール時代として区切ることもできる 1919-1933 という時代にに思いを馳せる ― そしてその様々な意味を見つけ出すには、美術の文脈に捕らわれずに当時の イラスト・諷刺画 を集めたこの展覧会の方が、うってつけだった。 第六位: Maryse Mugica & Bruno Cerati, in 第23回野毛大道芸, 1999/4/24,25, 野外/空中ダンス. 野毛大道芸の魅力の一つは、野毛商店街で半ば無秩序にざわざわと繰り広げられる ジャクラー・クラウンや日本の伝統的な芸人の芸であるのは確かなのだが。 近年広げた会場であるみなとみらい21地区のクイーンズ・スクエアでの、この2人の 空中アクロバットは、それとは全く異なり、cirque 的な演出も控えめに、ミニマル な演出に空中アクロバットのスリルを際立たせる、空中モダンダンスとでも言う ような演技だった。そのミニマルな魅力に、思わず3回とも公演を観てしまった程だ。 第七位: 川俣 正『東京プロジェクト ― New Housing Plan』, galerie deux, 1999/1-4, 美術展. 作家本人の、そしてこのプロジェクトの参加者の意向がどうであったかは別にして、 シンポジウムで紹介された、都内の仮設の空間での生活は、徹底的に分節化さて その諸機能が都市機能としてアウトソーシングされた結果、現在の社会基盤や技術で 分節化しきれずに残された生活の残滓を見せ付けられたような気がした。それも、 反ユートピア的ではなく、それに積極的な意義を見出すかのように…。 第八位: 須田 悦弘『泰山木』(Hara Documents 6), 原美術館, 1999/9-11, 美術展. 草花の写実的な彩色木彫作品を用い生花では不可能なフラワー・アレンジメントを 実現するする彼のインスタレーションは、原美術館の戦前モダン洋館の元私邸、 という贅沢な空間を使い切っていた。原美術館の贅沢な空間を使った、といえば、 Robert Storr の企画した『交錯する流れ ― MoMA現代美術コレクション』 (原美術館, 1999/4-5) の、Robert Gober や Katherina Fritsch の作品を使った シュールな演出も良かったのだが。 第九位: _Fuse Exhibition: An Exhibition Of Fuse Posters And Fonts_, ギンザ・グラフィック・ギャラリー, 1999/10, デザイン展. 「パンク以降」のグラフィック・デザインの中でも、モダンな傾向を持つものを概覧 するのにはうってつけの展覧会だった。作品集的な本としても、Naville Brody と 並んで _Fuse_ 誌を支える Jon Wozencroft の作品集である _Touch & Fuse - The Aftershock of The Invisible_ (Faculdade de Belas Artes de Porto / Touch, TO:15, 1999, book) が出版されたりもしたが、そんな中では、Intro が企画した Adrian Shaughnessy (editor), _Sampler - Contemporary Music Graphics_ (Universe, ISBN 0-7893-0258-6, 1999) が、まさに "Adventure in modern design" と言うべき、充実した内容だった。 第十位: Emir Kustrica (dir),『黒猫・白猫』(_Black Cat, White Cat_, 1998), 映画. 比較的前近代的な社会観に基づく行動によって引き起こされることによって 他愛のなさが保証されたコメディ。狂言回し的な Gypsy brass band は、 _Underground_ (1995) のようなシリアスな設定とは異なる、他愛無い設定が相手 の場合、その異化作用が生かしきれてないのは確かだけれども。それでも、この スラップスティックな感じは充分に楽しめる。中で最も近代的な行動を取る 主人公のカップルも良かった。 次点: 『恋スル身体』宇都宮美術館, 1999/7-8, 美術展. 夏休みに観に行ったこの展覧会は、比較的な単純なアイデアのインタラクティヴな 作品の展覧会で、音が出る作品は楽器を弄るような楽しさもあった。しかし、 そのついでに初めて足を運んだ大谷資料館の、霧がかった広い地下空間の持つ 強烈な印象に比べたら、その楽しさもいまいち弱いかもしれない。 番外特選: 『秋葉原TV』(秋葉原電気街 & Command N, 1999/2-3/14, 美術展) は、確かに言説的に サイト・スペシフィックな感じを出そうという周囲の雰囲気に、この手のイヴェント のつまらなさを感じたのだが。それでも、非公式サイトでそれを弄ばせてもらう こともできた、ということも、良い経験だったかもしれない。それに、何より 出展作品である Peter Bellars, _Massage_ に主演することも、現場を知る、という 意味で、貴重な経験だったかもしれない。 現場を知る、という意味では、今まで錦糸町でしか経験してこなかった河内音頭の 盆踊りを、その本場である河内は八尾の常光寺に踊りに行ったということも、 伝統芸能の近代化の意味を考えるという観点で、貴重な体験になったと思う。 2000/1/1 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕