6月8日(土)

  教育テレビで放送された、桂米朝師匠の落語中継を見る。4月29日に銀座の歌舞伎座で
行われた、大ホールでの最後の独演会というふれこみだ。師匠曰く、大ホールでは気力体
力が衰えてきて、しんどい、とのこと。実際、見てみると往年の力のこもった語り口はな
りを潜め、力の衰えを技でカバーしている様子であった。先日、その舞台裏をドキュメン
トした番組も見たが、その時は十八番の「百年目」の話しを一部飛ばしてしまった痛恨の
表情の師匠が印象的だった。だが、その場面のところを見てみると思ったほど不自然でな
いのは流石であるとは思った。しかしながら、やはりその衰えは隠しようもない。放送の
最後に脚本家の大石静が今日の高座を絶賛していたが、はっきり言って決して最高の舞台
とはいえなかった。師匠本人も最後の大舞台での満足いかない高座を誉められても忸怩た
るものがあるだろうに。したり顔で「最高でした」といわれてもねー。

  それにしても、米朝師匠も弟子たちも可哀相である。数年前に一番弟子であった枝雀師
匠が亡くなった事は記憶に新しい。しかも、自殺というショッキングな形でだ。そして今
年初めには、ようやっと芸にも人気にも芽が出始めたばかりの桂歌之助が鬼籍に入った。
私は歌之助師匠の噺を聴いたことは残念ながらなかったが、かなり近年いい噺家になって
きたとのこと。将来有望な弟子たちに先立たれて、米朝師匠もさぞかし無念だったに違い
いない。
  逆に、弟子たちも大変である。なにせ上方落語をたった一人で復興した人である。しか
も、落語のみならず、江戸時代の風俗の膨大な知識に裏打ちされた精緻な芸。それでいて
落語としての面白さを損なうことがない。もてる知性を全て落語に注いでいる、そんな偉
大な師匠の元にいて、プレッシャーを感じないわけがない。枝雀師匠が自殺したのも、お
そらくは偉大な師匠と違う芸風を追い求めて行き詰まった故ではないかと思われている。
本当のところは判らないが、そういった要素も間違いなくあったことだろう。乗り越える
べき壁は多く、しかも高い。大変だとは思うが、21世紀の上方落語の盛衰は米朝門下の
弟子達にかかっているといって過言ではないだろう。頑張ってほしいものだ。
  日記かきながら、ネット検索してると、米朝師匠のHPを発見。落語会のお知らせもでて
いるので、時折見てみるとするか。

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