金丸脱税事件の意味するもの

 所得税約20億円を脱税した容疑で金丸氏が逮捕されて約二カ月が過ぎた。金丸事務所からは総額20億円を超すワリシンが発見されており、さらに、20億円のワリコーを買い付けた疑惑もでており、このあまりに巨額な私的蓄財が、今後の政治改革、政界再編に与える影響はきわめて大きい。
 以下、この事件の意味するものについて考えていきたい。  第一には、この事件は、いかなる政治構造を背景にしているか、ということである。そして、その構造が続いてきたのは、国民の側にどういう価値観があったからであるか、ということである。
 第二には、金丸脱税事件によって失われたものはなにか、ということである。政治改革が、政治的価値の変更を意味するならば、いったい我々は、どういう価値を失い、どういう価値を得ようとしているのか、ということである。 


 第一の問題から始めたい。  金丸氏の逮捕直後に、宮沢総理、梶山幹事長は、「個人の問題」との見解を出し、小沢氏も「経世会をでた自分には無関係」とされたが、果たして金丸氏の脱税事件は個人的な問題であって私たちとは無関係な問題なのであろうか。私は、そうは思わない。それどころか、金丸氏自身もある意味で犠牲者だと思うのである。何の犠牲者か、派閥政治の犠牲者である。
 何故ならば、金丸氏にあれだけ巨額の政治資金が集中したのは、旧経世会という最大派閥による自民党の支配、そして経世会をパイプとする国対政治によって野党をもコントロールの下においたという、権力の集中があったことが原因だからである。おもての権力である総理や閣僚には権力の実体がなく、最大派閥のドンである金丸氏ににこそ真の権力がある。という権力の二重構造、いいかえれば、裏の権力こそ実体であるという現実の派閥政治が、この事件の背景である。
 派閥効用論の中には、硬直的な社会党の下では派閥による自民党内の権力交代が政権交代になっている、という話も聞かれるが、国民の選択できない集団権力交代によって政権交代の類似であると理解することは間違っているし、最大時130人を超える田中派による自民党支配以来、旧経世会の分裂に至るまで、すべての他派閥は田中派の支配に属してきたのが自民党戦国史であった。
 最大派閥という私的団体のドンであった金丸氏は贈収賄の恐れもなく政治資金を集中することが可能であり(まさか、政治資金規正法や所得税法に引っかかるなどと考えもされていなかった。)、また、集中した政治資金は脱税されるしかなかったのである。
 何故ならば、政治資金として報告すればその巨額の残高は不振の念を抱かせたであろうし、所得として申告しようとすれば資金提供者の氏名を明らかにしなければならず、一方、そのほとんどは裏金として提供されたものであるから、氏名・金額の公表はできない相談だったからである。
 金丸氏は、派閥を利用して権力を掌握し、そして、派閥によって食い殺されたのである。
 それぞれの事務所を持ち、メンバーに資金を配り、人事ポストの配分を行う、という「政党」まがいの強い派閥の存在を許すのは、自民党が弱い「政党」だからである。それは、中選挙区制度という選挙制度に頼るところも大であるが、問題は、なぜその中選挙区制度と共に、派閥による二重権力構造支配の「自民党」を国民が支持してきたのか、ということである。これは、第一には、冷戦中の世界の「自由主義か社会主義か」という二者択一の選択の中で、「自民党」が唯一の「自由民主主義」の担い手であり、その分裂に至る致命的な批判は、国益を危うくするものと考えられていたことである。
 これは、たとえば、検察のスキャンダル捜査においても「政権政党である自民党をあまり追いつめすぎると、社会・共産主義勢力を利してしまう結果になる」というような暗黙の了解があった、といわれるように、官僚機構全体が唯一の自由民主主義国民政党である自民党に、国益の保障をかけていた、といえるのである。
 しかし、今回の異例の、所得税法違反の逮捕は、もう冷戦後の世界の中で、そういう国益上の特別の配慮を払わなくてもよい、という官僚機構のメッセージなのである。また、自民党における経世会の分裂は、官僚機構のそうした出方のリスクを小さいものにしたのであった。実際、89年の消費税導入後の参議院選挙で、自民党が過半数を割って以来、官僚機構は野党との接触を急激に深めていったが、偶然とはいえ、天安門事件があり、消費税導入で自民党が過半数を失い、年末にベルリンの壁の崩壊があった89年という年は、冷戦中の価値観を崩し去った象徴的な年だったのである。
   「自民党」は「自由民主主義体制」の聖域ではなくなってしまったのである。

 第二には、戦後の高度成長の中で、「経済的効果」の増大が、自由主義や民主主義といった、そもそも日本人が日本人として本来的に確立したものではない、弱い外来の「政治的価値」にこだわる姿勢を吹き飛ばしてしまったからである。つまり、日本人にとって自由とは「経済的自由であり、民主主義とは全員が豊かになっていくことであった。そうした中で、自民党自身の持つ「政治的価値」の弱さは容認されてきたのである。「経済的効果」が増大し続ける限り、自民党はよい、のであった。
 また、日本人本来の社会・文化的価値観によって、近代的な「政治的価値」はフィルターを通して受けとめられた、といえるであろう。実際、政治改革が叫ばれても国民一般の制度改革についての関心はきわめて低いように思われる。小選挙区制、中選挙区制、比例代表制、あるいは小選挙区比例代表制といった選挙制度について私たちが熱弁を振るって「さあ、ご質問は」と問うた時に、「結局、制度よりは人だよ」と断言されて、ギャフンとなった経験のない政治家はいないだろう。
 日本人の価値観の根底に、制度や契約というコンクリートなフィクションで社会を構成していく、というとらえ方よりも、個性的な過去や特定な場所の制約を背負って出来上がってきた人間同士のファジーな移ろいゆく関係の複合した総体として社会をとらえているという、いわば社会・文化的な価値観が根底に強い。こうした社会・文化的な価値観が外来の「政治的価値」と混じりあったときに、日本人独特の自由民主主義が生じる。政治的「代表」は、一切を任せきった、「全国民の代表」というより地元の「おらが先生」という全面的なある種の自由主義的な委任関係となり、また、一方で「お上」とか「長いものには巻かれろ」といった権威に弱い民主主義的な価値観があって、この二つが独特の自由民主主義を作り上げていた。
 これは、政治的代表との関係を代理的なものとして考えずに、きわめて自由裁量の余地の大きい、また特殊共同体的な連結としてとらえてきたということである。そうすれば、いったん選ばれた代表が、どの派閥に属しようと、密室の根回しで物事を決しようと、少々スキャンダルがあろうと特殊共同体的連結が切れない限り、あまり「政治的価値」を犯されているという認識は生じなかったのである。

 冷戦の終わりは、大きな価値観の変化をもたらしつつある。戦後、自民党を支えてきた三つの要因、1にイデオロギー対立、2に「経済的効用」の持続的増大と弱い「政治的価値」観、そして3に、政治家への自由裁量的委任を支えてきた社会・文化的価値観は、実はすでに崩壊しつつあったのだが、金丸氏の脱税事件が、その崩壊を強く印象づけたのであった。戦後の自民党の存在意義は、湾岸戦争において国際的に揺さぶられ、今回の金丸逮捕によって、国民的にも打ち砕かれたのである。
 今後、官僚機構は、体制の維持に遠慮することなく政治への優位を強めていくであろう。イデオロギー対立の終わりと共に、「大きな政治」を理由とする聖域はなくなってしまったということである。逆に言えば、冷戦化のイデオロギー対立は、自民党を官僚機構から守っていたといえるであろう。もともと日本における政党政治はか弱いものであった。当初の政党政治への情熱は、戦前の天皇制の下における軍部を中心とする威圧的な官僚制に対する人民の戦いであったことを想起しなければ不可能であろう。なぜならば、議院内閣制の下で政党は、対立すべき政府を見失い(族議員化)、議会における政党間の談合(国対政治)の役割を果たすだけの、なにかうさんくさいものとしてしか映らないからである。また、イデオロギーの衰退と共に、政党への国民的忠誠心もまた相対的に衰退していかざるを得ない。
 いま、政党はいかなる国民的・政治的価値を自らの存在意義として、自覚的に担わなければならないのであろうか。それは、結局、「公開性」「討論」という古典的自由主義の価値観である以外にない、と思う。政党は、官僚機構の迷路の中で為される多くの密室的決定に対して国民の側にたって「公開性」を推進すべきであって、族議員として小さなおこぼれを受け取ることで満足すべきではないのだ。
 また、当然、政府自身が自らの内部決定についても公開し、国民の批判に耐えるものでなくてはならない。さらに、「討論」は議会内だけではなく国民と政府の双方向のコミュニケーションを担うものとして、あらゆるレベルと手段で為されるよう努力すべきである。政党は、そうした「討論」の司宰者でなければならない。また、選挙によって選ばれると言う権威こそが、自由民主主義を価値あるものとしていくのであって、選挙による権威が、試験より権威に劣るところには、真の自由民主主義は存在しないであろう。従って、選挙制度の改革と政党の改革は一体となって、国民からの支持を集めて権威づけられねばならない。

 金丸事件は、個人代表への自由委任という自由主義的残滓を打ち砕き、否応なしに政党が全面にでる時代を開くであろう。その政党が「公開性」「討論」という自由主義の原則を守り、議会と政府・官僚機構に対し、選挙によって選ばれたものとして権威を得ていくことができるか、というところに自由民主主義に将来はかかっているのである。


 大幅に三章の打ち込みが遅れて申し訳ありません。なにぶんそういった時間がなかなか見つからなくて・・・・ またこのあいだの予算委員会の私の発言ものせてみましたのでよかったらそちらもどうぞよろしく。

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