弁天湯


(小銭湯)

aqua.gif (191 バイト) 場所 長崎市電 宝町電停 徒歩15分

ちょっと駅から離れるが、結構キてる銭湯があるらしい…っつー訳で稲佐橋を渡って弁天湯へ。市電宝町電停から徒歩で15分ほど、途中坂があるのでややキツいっす。長崎は坂が多い港町っす。


(稲佐橋からの長崎夜景)

で、遠くから行灯看板が見えてきたんで、「やった〜」と思ったんだが…22時閉店で、店の前についたのが21時半、なんと暖簾が内側に…どうも閉店っぽい様子っす。ありゃ〜、そりゃないよ、ここまで来て…と玄関の前に立ちすくんでいると、中から出てきたお姉様が「あら、お客さん?」「はあ…もう終わりっすか?」「いいわよ、お客さんいるなら」っつーことで店を開けてくれる。超嬉しい。入口には牛乳石鹸の暖簾。


(「全国温泉めぐり」の看板、要するに薬湯がウリ)

さて、土間に続いた低めの番台、下足入れも一応置いてあるけど、あっしが最後の客なら使う必要もあるまい。っつーか、良く見ると下足入れの鍵は全部壊れている…で、天井は低めの木造の脱衣場、まあはっきり言ってかなりボロ銭っす。あっちこっちに補修の柱が入っている…ロッカーの鍵はKING、IUCHI SCALEのアナログ体重計。で、これがなぜかビンものの自販機が置いてあるっす。あとは、地方銭湯に良くみられる、男女の境を一部ブチ壊して両側から取れるようにしたドリンクケース、ソフトドリンクがいくつか。


(地方銭湯らしい脱衣場光景、自販機が新しいのが妙に目立つ)

浴室へ…この浴室のドアがまたヘンで、観音開きになっている戸。浴室の天井はフラットで低いけど、木造天井。真中に湯気抜きがついているっす。で…なんと木桶だ!カランがまた珍しいタイプの、棒型の赤青、江東区の鶴の湯で見たのと同じタイプだなあ。


(浴室入り口のドア)

小さな島カランが一つだけついているっす。ここはシャワー無し、シャワーのあるサイド側に陣取るが、このシャワーがまたあっちこっちにバラバラに飛び散るんでなかなか使えないっす。っつーか、温度が上がらないよ。カランの湯は逆にかなり熱めの湯。男女の境の上部はガラスになってて、これが結構低いところからガラスで、なんか向こうが見えそうで見えない…さらに!男女の境の上部にバリ線っつーか、刺付きの針金!明らかに覗き防止と見られるが、ここまでやるか!?男女の境の上部にシャンプーだのが置いてあるのは長崎風、こっちは男女で共用するんかなあ。

さて、風呂だ。最奥部に並んだ浴槽。まずはデンキ風呂から行ってみようか…これが驚き!一応バスクリン色の薬湯になっているようなんだが、入ってみると、何と30度くらいしかないっす。これじゃ温水プールだよ。しかも、電極に剥き出しに近いようjなコードが繋がれているっす。おいおい大丈夫かよ…この電極が昔風のフラットの鉄板、中に入ると妙にピリピリと表皮にクるっす。しかもこの浴槽、湯が半分くらいしか入ってないんだよなあ…

あとはこの銭湯のウリの日本全国薬湯、本日は箱根の湯になっているっす。箱根の湯が何で緑色なんだか謎だが…ま、長崎だったら分からないだろうなあ。こっちは温度は43度くらいでやっと一息つくっす。奥は石になってて、さらに斜め向きについたジェットが2機。あとは主浴槽、こっちは白湯で43度強あるかな?かなり離れてついている2穴のジェットが2機。深さは結構あるっす。


(脱衣場にあった身長計、歴史を感じる…)

さて、無理やり入ったので申し分けなく、サクサクと風呂を上がろうとすると、番台の女将が「この辺の人?」「いや〜、実は東京から」「何でこんなところに来たの!?」「川向こうにいい銭湯があると聞いて…」っつー訳で少し話を聞くと、戦後すぐ、昭和21年、まだ物資が少ないころに古木材を集めて建てた建物、っつーこと。おかげで補修の数がかなり多いっす。それ以来57年間ずっと営業してるとのことだが、女将がポツりと「でも、もうすぐ…」その後に言葉がないっす。うむ〜…原爆投下後、廃墟から立ち直る、その時から開始し、長崎の復興とともに歩んできた銭湯だが…神戸の震災の時もそうだったけど、廃墟になったその後、まず必要とされるのは銭湯なんすよね。そして、 街が復興して生活が豊かになってくると、次第に銭湯は忘れ去られる…っつー訳で長崎で感銘深い銭湯だったっす。銭湯の思い出を刻んだまま、思案橋近くのブルースバーに向かうのであった。


(長崎の繁華街、思案橋)

(店の数は多いんだが、寂れがち)

(これ、交番なんすよね、珍しい)

(長崎市電、100円っつーのは偉大)

(2002年11月)