Kabuki Springs & Spa


(こざっぱりした入り口)

aqua.gif (191 バイト) 場所 San Francisco ジャパンタウン内(Fillmore & Gearly)

yellow.gif (192 バイト) Kabuki Spa ホームページ

いよいよもってアメリカ進出…っつーか、わざわざアメリカで銭湯入るか?というか、毎日のナイトクラビングで胃も身体も相当疲労、毎朝二日酔い状態、日本からなぜキャベジンを持参しなかったか悔やまれたが…こうなったら、いくらUSといえども銭湯に行くしかあるまい。


(フェリーよりサンフランシスコのダウンタウンを望む)

(SFと言えばコレ)

サンフランシスコのジャパンタウンに銭湯があるっつーことを聞いて行ってみる…ジャパンセンターの一角、Fillmore St.とGearly St.の交わる辺りに「KABUKI SPRING&SPA」の看板発見、いやしかしこれもまたベタな名前だよなあ。いろんなテナントが入ったビルの一角にあるっす。入り口は結構落ち着いてる雰囲気。


(ジャパンタウンの五重塔なんだが…日本ではあり得ない形…)

(アメリカ行ってもペナント撮るヤツ)

フロントに行って、とりあえず入浴したい旨告げると…え?「ただいま満員なので、このリストに名前書いて待っててください」だと。どうやらロッカーが空かないらしい。こりゃ参ったなあ…どういうこっちゃ?西海岸で銭湯ブレーク中!?時間が無いので、とりあえず別の日に回すか。それにしても、客は日本人ばっかり?と思ってたらとんでもない、日本人なんか一人もいないよ。ちなみに、ここは日替わりで男女どっちか一方、週に一度だけ水着着用の混浴デーがある模様っす。営業時間は10時から夜の9:45まで。料金は平日$15、休日$18、日本の健康ランドと同じくらいの値段っすね。もちろんUSなんでカードOK。

で、日を改めて、今度は午前中に挑戦。今回はOK、なお、フロントは日本語が通用しないんでよろしくっす。フロントでID要するにパスポートを預けさせられてちょっと不安だが…交換にロッカーの鍵を受け取る。他にマッサージその他エステ系のメニューも充実、こっちはちょっと値段張るっすけどね。

フロントのパツキンのギャルに、とりあえずどこに行けば良いかと聞くと、奥の突き当たりがロッカールームっつーこと。ロッカールームへ。やはり異国で貴重品全部外して裸になるのは不安だが、ロッカーの造りは丈夫、あやしい人間も居そうもない。部屋の中にはあちこちに東洋系の置物他、で、これまた東洋風のリラクゼーション音楽が静かに掛かっていて、なかなかキブンを盛り上げるっす。

ロッカールーム入り口にバスタオルが置いてあるので、一本手にするっす。さてと、ここでのしきたりは…?普通はロッカールームは裸になるものだが、裸になっても大丈夫なもんだろうか?回りの様子を見ていると、素っ裸でタオルを持って浴室に入っている。あと、ロッカールームからガラス張りで一部浴室が見えるが、これも裸の模様、どうやら大丈夫そうだ、と真っ裸になって浴室へ。

浴室に行く途中、休憩コーナー、ここがまたアジア風の置物がいろいろ、お香も焚かれてムード十分、雑誌なんかが何冊か置いてあるっす。入る前に壁の注意書き、「SPA RULES」とあるけど、浴槽に入る前に身体を良く洗えだの、高血圧、心臓病、妊婦は避けてくれだの、ほぼ日本と同じような内容。浴室入り口に小タオル置き場があるので、ここで一本取る。要するに、手ぶら入浴で全然OKっつーことっす。

浴室入ると…これがなかなか、雰囲気一杯、悪くないじゃん。天井はさほど高くないけど、十分開放的な空間。落ち着いた色調にまとまっており、あちこちにアジア系の置きもの。静かに音楽が流れる。

さて、まず身体を洗うか…浴槽の一面に、カランが並ぶ。隣に立ちシャワーブースがいくつか。この辺りは日本と変わらんな。しかも木椅子だ!カランは温度調整付きの立派なもの、シャワーはハンドシャワー。ここまではいいんだが…桶が!?なんだこれは。カランの下に巨大な桶っつーかタライが置いてあるっす。これは…お湯溜めたら動かせないなあ。あと、ボディシャンプーその他備え付けっす。

カラン前の木椅子に座って、身体を洗っていると…黒人のドレッドヘアの従業員がつかつかと寄ってくる…はて、何かおかしいことをしたか?近くまで来て、「Stand up!」だと…とりあえず言う通りにすると、木椅子の上に小タオルを敷いてくれる。なるほど、これは日本にない習慣だが…納得。「Oh!I see.」と思わず口をつくと、ドレッド君もにっこりと親指を立ててOKマーク。

さて肝心の風呂だが…真ん中に円形の水風呂、その脇にお湯の槽。浴槽自体はかなり大きくて、プールっぽい。残念ながら壁画は無し…あたりまえか。が、いろんな装飾があるので、ムードは満点。中に入ると…お?思ってたよりは熱いか。温度は41度くらい、銭湯よりは低いけど、スーパー銭湯よりは高いっつー感じっす。特にヘンテツのない白湯、ただし塩素濃度はかなり高いかな?ちょっとカルキ臭いけど、まあ仕方あるまい。

それにしても…ガイジン、いや、ここではあっしがガイジンか…は裸になりたがらないと聞いていたが、みんなスッポンポン。しかもいろんな人種、白人やら黒人やらスパニッシュやら…どうやら、こっちでは静かに入るのが薦められているようで、静かに風呂に入っている。同じ湯舟にいろんな人種が文字どおりごった煮、が、風呂に入っている人間特有の「極楽顔」をしているっす。これはまさしく「Imagine」の世界そのものではないか!?宗教も人種も関係なく、同じ湯舟。やっぱり、ジョンは軽井沢辺りの温泉に入りながらImagineを作曲したのではないだろうか!?

タオルを湯舟に入れる人間もいないが、ここはあっしが、日本のドラディッショナルスタイルを教えてやろう、と頭にタオルを載せてご入浴。一人だけ、パンツ履いて入浴している白人のオヤジがいるが(特に禁止ではないらしい…塩素濃度が濃いのはそのせいだろうなあ)、このオヤジがまた、湯と水風呂をしきりに往復、こりゃどうも「修行系」ではないかなあ。やはり白人にもいたか…

余裕が出てきたので、他の客を観察、なるほど、白人は体毛が濃いぞ。それにしても、こっちの人間は脂肪がついてるなあ…みんな腹が出てるっす。でも満足げに風呂に入っている様子は日本と同じ。うむ〜、日本も「銭湯すたれば人情すたる」とか心細く言っている場合じゃないぞ、北朝鮮がミサイルを輸出するんだったら、ニッポンは銭湯を輸出して平和産業として君臨するのだ!

で、この銭湯、結構設備充実してるんすよねえ。水風呂は結構広く、深いっす。しかも冷却しているみたいで、温度も20度を切るくらいの温度。で、銭湯脇には沢山の休憩用のスペースと長椅子、嬉しいことに、一部にレモンやフルーツを浮かべた冷水もサービスに置いてあるっす。このサービスはいいね。

さて、ここは何とスチームサウナドライサウナもあるのだ。まずはスチームへ。なんと、塩サウナ。ちゃんと塩がカップに入って置いてあり、「身体になすりつけてください」と英語で説明書き。嬉しいねえ。サウナは日本よりかなり温度は低め、スチームで40度半ば、乾式で70〜80度くらいかな。結構広いスペースで、スチームは10人以上、ドライサウナは20人以上入れそうっす。サウナで無言でじっと黙って入っている感じはまさしく日本と同じ、ただかっぷくの良いドレッドの黒人や胸毛白人だったりするところがヘンな感じ。本当に日本人はおろか、アジア系もいないっす。乾式サウナでは、ちょっとインテリが入ったような白人が、腰かけて読書中。

っつーことで、冷たい水風呂もあるし、結構交互に何回も入りまくってしまったっす。ただ、もともと入浴習慣を知らない国柄だけに、入浴教育はどうやっているんだろ?なんて思ってたら…一人が、サウナから出て水風呂にどぼ〜んと飛び込み。そっと店の係員がやってきて、小声で耳打ちしてるっす。おそらく、「それは他の人に迷惑がかかるから、あかん」と言っているのだろう。これは素晴らしい。日本では、銭湯のオヤジが大声で浴室で客を叱っているのを何回か見たことがあるっす。仕方ないちゃあ仕方ないのだが、あれだと客も恥かいて、銭湯行きたくなくなっちゃうかもしれんっす。こういう部分はぜひ米国の銭湯を見習うべきだな。最近、日本でも「一度も銭湯入ったことない」っつー人間も多い訳だからねー。

十分に満足して出てきたっす。洗面台周りも充実、綺麗にしてあるし、風呂出たところにお茶のサービス。素晴らしい。風呂の温度がぬるいのと塩素が強いのは仕方ないが、結構感動体験っす。アメリカながら星つけておくっす。

夜はこの銭湯の、フィルモア通り向かいのナイトクラブ(ライブハウス)へ。この店は値段安いし(チャージが5ドルくらいで、ビールは3ドルくらい)、カウンターのタトゥー入りのギャルは美人だし、演奏レベルはまずまず高いし、お勧めっす。それにしても、サンフランシスコで酒と世界中の料理と音楽、そして銭湯、放蕩三昧の生活っす。目指せ!世界のB級道楽大王!


(これもSF名物、デッキに立ち乗りしましたぞ)

(結局ペナント撮ってる…
これはフィッシャーマンズワーフ)

(これはハイト&アシュブリー、ジャニスの出身地、ほとんど下北沢である
ところでUSは意外にレトロな木造建築が多い
なんといっても空襲なかったもんね〜)

(っつーことで、ペナントもこんな感じ
脇のレトロな建物、こんなのが多いっす)

(ゲイタウン、カストロの巨大レインボーフラッグ)

(1ドルでどこまでも乗れる市バス、
電動のため排ガスゼロ)

(アルカトラズ島の刑務所跡)

 

(2003年4月)