寿美浴場

2000年6月に廃業とのこと。合掌。しかし直前に行っておいてよかった〜。

aqua.gif (191 バイト) 場所 都バス市谷柳町 徒歩5分

市ヶ谷若松町の寿美浴場に行ってきたっす。これってやっぱり「すみ」っすよね?新宿から江戸川橋方面への都バスで、市ヶ谷柳町下車、さらに徒歩で5分ほど。この辺りって、ほとんど陸の孤島なんすよねえ。大江戸線がせっせと工事中。これが通ればかなり変わるか。

しかし、山の手線内とはいえ、地下鉄が通っていないと孤島化するっす。地下鉄が通っていない時代は、どんな生活をしてたのだろう?そもそも大正明治の都下の暮らしはどうだったんだろうなあ。少なくとも銭湯が全盛だった昭和30年代は?どこに通勤してたんだろう?今より職住接近してたのか、あるいはその逆?

なんて考えながら大久保通りを歩くと、煙突発見。なかなか古式ゆかしい、庶民的な銭湯っす。傘立ては円形のもののみ。下駄箱も古め。当然番台っす。番台には小石鹸やシャンプーは置いてないが、言うと出してくれる。番台の親父は初老だが、かなり親切な雰囲気っす。脱衣場も古い。天井高い。

さて浴室へ。天井高い、中型の銭湯だが…いやはや、レトロだなあ。東京都下でもトップクラスのレトロさだぞ。島カランは鏡もない、カランだけのタイプ。 両側のカランは、一応増設でシャワーがつけてある。そのカラン自体も古い。赤レバーに温泉マーク、青レバーに川マークがついている。シャワーは熱めなんだが、カランの湯がややぬるいか?ガラスは広告入り。これも最近見かけないっす。

そしてびっくり。窓の枠は未だ木の枠。ペンキも塗っていなくて、かなり欠けてボロくなっている。しかもは…あの、突っ込んで回すタイプの金具。 蛍光灯は縦についている。はああ。出入り口はさすがに磨耗が激しいのか、アルミだが、上のガラスはやはり木の枠。限りなく木造仕様の銭湯っす。

まあいいや、風呂にはいろ。壁画は南国の海辺のタイル画。夕日と椰子の木とエスニックな建物、ヨットなど。悪くないセンス。が、この下の部分に… ヤキトリ屋の広告とともに3箇所、左から40度、41度、42度と矢印が書いてある。どうやら、この広告の下がその温度らしい。相当変である。

で、入ろうとして温度計見ると…おいおい、49度。全然話が違うぞ。(-_-; とりあえず足を入れてみる。お、熱め。

浴槽は2槽式、片方が浅くジェット3機、片方は単なる深い浴槽。深い浴槽の方が熱いようである。浅いほうは…45度くらいかな、いやもっとあるかも。 結構熱い。上がると身体がやや赤くなっている。深い方は…さらに熱い。46度上かも。

まあとりあえず何もない湯だが、熱い湯は気色よい。壁に薬湯とあるが、色はついていない。何も入っていないのかな、と思うと、湯から漢方の臭い。パネルは「生薬」となっている。なるほど、色なしの薬湯か。よしよし。

かなり熱いので、短時間で出入りを繰り返す。その間に桶で水など浴びてみる。よしよし、気色良いぞ。

上がりはヨーグルトドリンク(最近、ヘルシーなこれにハマっているのだ)を呑みながら、長椅子でオブチさんの葬式のTVの音だけ聞く。もちろん、縁側がついており、全開中。と、いきなり背後で「ぐぉーっ」という音。びっくりし て見てみると、縁側に井戸があり、このポンプの音のようである。なるほど、 井戸水利用かあ。しかし本当にレトロな銭湯っす。帰りは番台の親父がこれまた、本当に有難そうな声で「ありがとう」と挨拶。いや、なかなかの商売人。

帰りはやはり大久保通りから外苑東通りを少し歩いてみる。薬王寺の商店街には、「祝!歓迎!防衛庁!」っつー垂れ幕がずっと並んでおり、少し笑える光景であるっす。なるほど、六本木からこっちに移転してくるのか。確かにこういうの見たら、ボーエー庁の人も地元で一杯、といきたくなるかもなあ。しかし、この辺り、もしかしてテポドンの標的になっているような気もするが…第一交機の前のバス停から新宿へ帰還。

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(2000年5月)