銭湯 and Me

なぜ銭湯好きになったか?

もちろん、「オギャー」と生まれてすぐに銭湯好きになったわけではないっす・・・

今はフロ付きのアパートに住めるくらいにはなったのだけど(そのわりには内フロはほとんど使わない)、あっしも極貧時代があってっすねえ。友達と一緒に板橋のアパートに住んでいたのだが、毎日食うに困って、小麦粉に塩と味の素とソースを入れたものを焼いて「もんじゃだもんじゃだ」と喜んで連日食ってたこととかあったっすねえ。たまに贅沢だと、キャベツと玉子、時にベビースターがはいるっす。そのうちソースも切れて・・・

これではあんまりだ、っつーわけで、とりあえず食だけは確保しようと、飲み屋で働くことになったっす(もちろん目当ては賄い)。

連日、昼の2時ごろから仕込み、朝の5時ちかくまで猛暑の日も厳寒の日も立ちっぱなしで働くっす。しかも月30日労働。怒声の中で汗だくになって、おまけに毎日何十匹も魚さばくは、揚げ物はするは、肉は焼くは、客のゲロ掃除はするわ・・・ですっかり魚臭く汗臭くなるわけっす。たまに得る小金も、店終わったら浴びるように呑んで酔い越しにはオケラ・・・

まったく「何のために生きてるのかわからん」っつー生活の中での、唯一の幸せは、仕込み終わって開店までの間に30分くらいつくっての銭湯通い。まだ明るくて、人もあまりいない湯船につかると「ほぉぉぉ〜っ」っつーかんじで、「ああ生きてて良かった」を実感するわずかな時間だったすねえ。夏の日も冬の日も。こうして、いつのまにかあっしの中では銭湯は神々しい場に変わっていくのであった。


時代が変わって、今になっても、生活が忙しすぎて「いったい何をやってるんだかよくわからん」、青春ドラマ風に言えば「自分を見失いそうなとき」(-_-;ああはずかしい)は、とりあえず1時間でも作って、ゆっくり銭湯で浸かるっす。こうして一人でいると、「今いったい何が一番大切なことなのか」っつーのが、じわじわ〜っとわかってくるっすねえ。

立川談志が「湯はうらぎらない」といったそうだが、全くそのとおりっす。うんうん。


町田忍師匠との出会い

そうこうしながら、適当に銭湯な日々が続いていたっす。もともとあまりコダワリが無いんで、小時間あって銭湯見つければ手ぶらでも飛び込む、なんっつー軽い日々が続き…まあ銭湯マニア度では日本で50番目くらいには入っているだろうなあ、なんて思っていたっす。

2000年になって、たまたま、世田谷美術館で「銭湯パラダイス」という企画を行うのを知り、地元区だしずっと世田谷に税金払ってるしなあ、これは行ってみないと、と申し込んでみたっす。そしてそこで講師として出会ったのが、「銭湯界のカリスマ」町田忍氏。

最初見たときの第一印象は、「なんてインチキ臭いギョーカイ人」…。もしや銭湯を喰いモノにして仕事してるのか?と思い、さっそく話をふっかけてみようとしたわけなんすけど…

なんと意外に意外、銭湯の話となると、細部まで全くスキがない…というより、ホンモノだよ、この人。その深い博識、冷静な客観性、そして何よりもその行動力。いつの間にか逆に話に引き込まれることに…何より、「何でこの人、こんなに何の役にも立たないことに、人生を賭けて夢中になれるんだ!?」と感動。そこに「ホンモノの学究」の姿を見たっす。

その後、お互い酒好きもあり、企画中は終了後毎回一緒に何軒か呑み。話せば話すほど、それまで自分がいかに小僧だったかを思い知らされる…というより、銭湯は(自分の知っている世界以外に)こんなにいろいろな文化があったのか、と大海に出る思い。それからステップアップした、新たな銭湯の旅が始まったっす。

その後、機会があればいくつかの銭湯に一緒に行って、その後呑みながら報告会、なんてボチボチとお付き合いさせてもらっているっす。これからも銭湯マニアの旅は続くのだ!