日本語のタイポグラフィにおけるイタリック体と斜体について

Webにおける体裁を制御するCSSに関するメーリングリストなどで、最近日本語の縦組におけるイタリック体又は斜体のことが議論になっている。公開されている議論のアーカイブを見ると、Synthesizing oblique, to which direction in RTL and vertical flow?という表題の2013年2月4日付の、Koji Ishii氏によるメッセージが、議論の始まりらしい。そこから議論が広がっているが、ここでは議論の詳細には立ち入らず、基本的なポイントだけについて私見を述べたい。基本的な原則を明らかにすれば、詳細に関する事柄も容易に導けると考えるからである。

何が課題になっているのか

上のURLにあるメッセージが提起している課題は以下のように要約できる。

CSS Fonts Module Level 3は、font-style属性にnormalとitalicとobliqueの指定を可能にしている。その意味は以下のとおり。

  1. font-style属性の値にnormalを指定した場合、normalのフォント、つまりitalicでもobliqueでもないフォントを選択する。
  2. font-style属性の値にitalicを指定した場合、italicのフォントを選択する。ただし、それが存在しない場合には、obliqueのフォントを選択する。
  3. font-style属性の値にobliqueを指定した場合、obliqueのフォント又はitalicのフォントを選択する。
  4. italic又はobliqueが指定された場合、該当するフォントが存在しない場合には、italicでもobliqueでもない、normalのフォントに対して変形処理を行って人工的に斜体の形状を生成する。

さて、ここで問われている課題は、

  1. 日本語が主に使われる縦組において、italicやobliqueの指定はどのように処理されるべきか。
  2. 日本語が主に使われる縦組において、人工的に斜体を生成する場合、右上がりか、左上がりか、どちらの方向に斜体をかけるべきか。

の2点である。これらについての私の考えを以下に述べる。

 

日本語タイポグラフィにおいてイタリックは一体何を意味するのか

font-style属性が、normal、italic、obliqueの値の指定を可能にしていることから、欧文のタイポグラフィにおいてnormalをもっとも通常のfont-styleとしていることが分かるだけでなく、このことはつまり、多くの欧文フォントの場合において通常可能なように、ローマン体をnormalとして通常使用し、強調や文献の表題などに必要な場合だけ、スタイルをitalicに切り替えて使用するという慣習をCSSで実現するためのものであることがわかる。つまり、ここでのitalicという値は、normalと対で用いられる副次的なスタイルとしてのitalicのことを意味している。font-style属性だけがitalicに指定されるに過ぎないのである。このことは、イタリック体であれば何でも良いわけではなく、normalの存在を前提として、それと対をなすイタリックを指定するということが、italicの意味するところなのである。同じことはobliqueについても言える。通常のnormalと対で用いられる副次的なスタイルとしてのobliqueを指定するのである。italic以外にobliqueが必要となる理由は、書体デザインによっては、italicが存在せず、normalに対応付けられる通常のスタイル以外にobliqueだけが存在する場合があるからである。しかし、その基本的な機能は、normalとの対としての副次的なスタイルとしてのitalicと同じと考えられる。つまり、normalとの切り替えであり区別である。

端的に言えば、このfont-styleは、特定書体について、そのromanかitalic(またはoblique)の区別を指定するためにある。obliqueはitalicが存在しない書体に対応するための対策に過ぎない。つまり、「イタリックにする」(italicizing)ことが主目的なのである。

では、日本語と和字のために作られる日本語フォントにおいて、あるいは日本語のタイポグラフィにおいて、「イタリックにする」ことはどういう意味をもつのか。それは、和文と欧文とが混じり合ったテキストを組む場合に、欧文にイタリック体を用いる、以外の意味ではありえない。なぜなら、イタリック体というスタイルが和字には存在しないからである。それは、歴史的に存在しないだけでなく、ラテン・アルファベットの文字以外には適用する必然性がない。また、必要性も存在しないのである。欧文においては、normalを基本とし、副次的なスタイルとしてitalicあるいはobliqueを使い分ける慣習が存在し、そのためにすべてではないが多くの書体・フォントが、normalに相当するromanなどのスタイルのグリフとitalicあるいはobliqueのスタイルのグリフを両方備えている。日本語書体やフォントの場合、それはまったくあてはまらない。そもそも、漢字や仮名をイタリックにするということが何を意味するのかさえ、不明である。つまり、日本語においてイタリックは、和文と欧文の混植の場合を除いては、ほとんど無意味なのである。

では、そのような「イタリックにする」ということが、日本語の縦組で指定されている場合には、どう処理すべきなのか。答は単純である。何もしない、できない、のである。これが、上記の問1に対する筆者の答である。さらに、このことが縦組に限定されないことも自明である。

このように考えると、上述の問2は、既に設問自体が無意味であることが分かる。日本語が主に使われる場合には、少なくとも、イタリックにするという文脈(あるいはそのような意図で指定がなされているという状況)が有効な範囲においては、人工的に斜体を生成する方法が不明であり、不可能である。つまり、斜体(obliqueまたはslant)などの人工的な変形処理をどのように適用しても、和字に対してitalicという属性を付与することも、その代替物として機能させることも不可能なのである。なぜなら、和字にはイタリックにする、という用法が存在しないからである。そして、それは用法が確立されていないだけでなく、そもそも別個の文脈で別々にしか成り立たないものだからである。日本語のグリフを、16世紀のイタリアの印刷者や能書家が用いたような筆法で書くこと、それに似たデザインにすることが不可能なのである。

また、「イタリックにする」という文脈を、途中から「斜体に人工的にする」という文脈として拡大解釈することも不可能である。なぜなら、font-styleの属性とは、指定された特定フォントにおいて選択可能なスタイル属性が、多くの場合存在していなければ無意味なのであり、だから欧文フォントに対しては意味があり、日本語フォントに対しては無意味なのである。(ただし、イタリック体のグリフが含まれるなら、和文フォントに含まれるラテン・アルファベットのグリフに対してitalicやobliqueを適用して悪い理由はないし、それはGSUBの利用で可能となるが、そのような対応をした場合でも、漢字や仮名がイタリックにできることにはならない)。

言い方を変えれば、欧文では、Adobe Garamond Italicなどのようにitalicの属性に合致するフォントが現実に存在している。しかし、日本語フォントに、例えば、小塚明朝Regular Italicは存在していない。このことは、日本語フォントを用いる場合、italicやobliqueが少なくとも和字に対しては、一般的に切り替え可能なスタイルとは考えられていないことを示している。

 

日本語タイポグラフィにおける斜体

さて、日本語タイポグラフィにおけるイタリックの無意味さと不可能性について上に述べた。日本語フォントには、そのようなフォント・スタイルは存在しない。しかし、このことは、日本語タイポグラフィでは、グリフに対して何らかの変形処理を用いて斜体をかけることが不可能であるということではない。実際、光学式の手動写植機の時代から、和字に対しては長体・平体・斜体などの変形処理をかけることは行われてきた。したがって、日本語タイポグラフィにおいても斜体は可能である。ただし、以下の点に注意するべきである。

  1. 斜体を含む日本の写真植字における変形処理の用途は、特定の行長に揃える目的で行中の全文字に適用する場合を除けば、特に斜体については、見出し用の特殊効果が主目的であった。例えば、チラシや広告の単独の見出し行や雑誌記事の題字など)。基本的には1行で収まる範囲内で、しかも、斜体と正体との組み合わせは特別にスペーシングを要したため頻度が少ない。長い本文を斜体で組むなどは極めて希である。
  2. そもそも、斜体ライン揃えは、回転が可能な光学系を持たない多くの光学式手動写植機では、その印字部分だけを切り取った上で、角度を揃えて割り付け用紙に貼るなどの手作業を必要とした。このことからも、斜体を用いて複数行にわたって長い文章を組むことは極めて希であった。
  3. 斜体を含む日本の写真植字における変形処理は、当然のことながら、和文の仮想ボディを基準としてなされる。欧文のベースラインなど、和字に欧文の基準位置を適用して座標変換などの変形処理を行うことは無意味な操作であるだけでなく、不正な結果を招いてしまう。

 

結論

さて、上に述べたことから、結論は以下のように要約できる。

  1. 和字にとって、イタリックにするということ自体、意味がない。したがって、和字に対してitalicやobliqueの指定がなされている場合は、それを無視する。これは横組・縦組の別を問わない。
  2. 歴史的に和字に対して行われる斜体の変形処理は、多くの場合、特殊効果として見出し用に用いられた。欧文におけるromanとitalicの区別のように本文において切り替えて区別や両者の差異を強調する目的を持たなかった。
  3. 日本の写真植字において斜体が用いられたように、見出し用途などで、和字に斜体の変形処理をかける必要性がないわけではない。必要であれば、新たにそのような変形処理を適切に定義することは可能であろう。ただし、欧文におけるitalicやobliqueと日本語・和字における斜体の変形処理とは、まったく別のものとして、独立して考える必要があり、両者を連動させたり関連付けたりすることには、合理性がないだけでなく、和字に対する適切な変形処理が困難になってしまうおそれがある。
  4. イタリックにすること、斜体にすることが、font-style属性の究極の目的ではない。それは、部分テキストの強調や区別を目的に、西洋のタイポグラフィで用いられてきた方法なのである。日本語のタイポグラフィにおいてもまた、同様の目的で使われる種々の方法があることを、まず理解する必要がある。
  5. この議論は、その始まりから、欧文のイタリックと和文の斜体とを混同したことに問題があったのではないか。明瞭に区別して議論が行われることを希望する。

山本太郎

2013.06.02