ヴァルカン船 
-Le Bateau Vulcan- 

No.1 1997.9.24.


サン・ジュストと澁澤龍彦

長谷川佳子

 1987年8月5日、澁澤龍彦氏が亡くなられた。59歳。あまりにも早い死であった。あれからもう10年が過ぎた。
 私がサン・ジュストについて思いを馳せるとき、澁澤氏は常に親しい隣人であった。学生時代、『サン・ジュスト全集』を枕頭の書としていたという澁澤氏。
 「そのころわたしの机上には右にサド侯爵があり、左にサン・ジュストがあったわけである。」(澁澤龍彦著『異端の肖像』より)
 私は舞踏家の笠井叡氏を通して澁澤氏に出会った。
 『天のパイプ』は1987年10月に澁澤氏への追悼の気持ちを込めて書いたものである。笠井氏とともに北鎌倉の澁澤氏の家を訪ねた日、サン・ジュストのことを語り合った至高の一日のことを、私は今でも鮮明に思い出すことができる。

天のパイプ

 扉を開けて私たちを迎え入れたその人は、少年のようなはにかみを頬に浮かべると、「やあ、どうぞ」と魅力的なハスキーボイスを残して背を向けた。やや長めの髪がさらりと透明な風を送ってくる。骨ばった華奢な感じの身体を、巨大な背もたれのある古風な椅子に沈め、手にしていたパイプを格好の良い唇にはこぶと、その人は、不可思議で豪奢な部屋の中のオブジェのひとつとなった。
 庭に降り注ぐ早春の午後の柔らかな光を背にしている。逆光になった顔の表情はわからなかったが、微笑している、と私は思った。パイプの煙がゆっくりと部屋を巡り、気怠い奇妙な陶酔へと誘われる。
 澁澤龍彦氏はこのとき、四十三、四歳であったろうか。サド裁判で誌上を賑わせ、広範な知識と闊達な文体で、フランス文学の未踏の領域を紹介してきた澁澤氏の透徹した姿勢には、常に尊敬の念を覚えずにはいられなかった。にもかかわらず、このときの私には不思議と気後れはなかった。この高名な仏文学者の、青年のような若々しさと優雅さが、まるで古くからの知己であったような錯覚に陥らせたのだ。
 「飲(や)りますか?」今日は記念すべき日だから、というような意味のことを言いながら、澁澤氏は楽しそうにグラスを並べる。夫人は外出している様子だ。風格のあるガラス戸棚の中から「秘蔵のナポレオン」が取り出された。「飲めるでしょう? ナポレオン、こいつを全部飲んじゃいましょう」と言った後で、このフレーズが気に入ったらしく、「ナポレオンを呑んでしまおう・・・」と歌うように繰り返している。日没にはまだ間があったが、私たちは祝祭のような華やいだ気分で杯を重ねた。
 ジョルジュ・バタイユから始まってウィリアム・ベックフォード、ルードヴィヒ二世、サド侯爵、さらに話題がサン・ジュストに至ると、澁澤氏は身軽に席を立ち、居間とは部屋続きになっている書斎から、件の『サン・ジュスト全集』を携えてきた。おそらくグルーズの筆によるものと思われる表紙のサン・ジュスト氏は、このときから終始テーブルの上に鎮座し、四人目の臨席者となって、この奇妙な会合の行く末を見守ることとなった。
 鬱蒼たる木立の生み出す闇が、凛とした夜気を感じさせる刻となっていた。
 何か音楽が欲しいね、と呟いた澁澤氏は、矢庭に私の方を向くと、「『幻想』はどうですか? 『幻想』、知ってます?」と聞く。「ええ、『幻想』はとても気になります。一番こだわっている曲ですよ」と答えると、「それはそうでしょう。あれは、まさに断頭台だから」と、至極満足気であった。
 吹き抜けになっている居間から、書斎の上へ階段が続いている。その階段を澁澤氏が上って行く。アルコールのせいか、足もとが少しふらついているようだ。「上は寝室になっているんですよ。レコードをかけに行かれたのでしょう。」笠井氏が言うと同時に、ベルリオーズの『幻想交響曲』が大音響で降ってくる。見上げると、寝室の白い壁にアーチ型の小窓がくり抜かれていて、その窓から、パイプをくわえた澁澤氏が「どうだ?」とばかりに得意気な表情で顔を出す。このショットは印象的で、その後も氏の著書を目にするたびに、いつも必ずこの場面を思い起こしたものである。
 地獄ならぬ天界から、しばし下界の眺めを楽しんだ澁澤氏が居間へ下りてきた。「澁澤さん、酔ってますね」という笠井氏の言葉に、「馬鹿なこと言っちゃあいけませんよ」と、例のハスキーボイスで反論した澁澤氏であったが、無残にも足をとられて私たちの座っているソファに倒れかかった。この人の優雅さの中のどこにこれほどの敏捷性が隠されていたのだろう。素早く身を翻すとソファの後ろにまわり、「君たちがいけないんだ。こうだ、こうしてやる」と、拳で私たちの頭を交互に叩き始めた。優しく、暖かい拳であった。
 卓上のコニャックは空になり、いつのまにかウィスキーの瓶に変わっていた。澁澤氏は大きな椅子の上に膝を抱え込むようにして座ったままである。まるで叱られてすねた少年のようだ。『悪魔のトリル』が流れている。
 どれほどの時が過ぎたのだろうか。帰宅された龍子夫人が、「まあ、こんな時間まで何も食べずに飲んでらしたんですか?」という声を聞いて、慌てて時計を見ると、九時半を少しまわったところだった。珍しい土筆の佃煮と炊きたての白飯を御馳走になり、東京行きの最終電車に乗る頃には、酔いはもうすっかり醒めていた。だが、この至福の一日の興奮はいつまでも醒めることがなかった。
 澁澤氏が亡くなられたことを知った朝、未明の空を見つめていると、天にアーチ型の小窓が開き、そこからパイプをくわえた澁澤氏の顔が覗いた。「さよなら・・・」心の中で叫ぶと、謎めいた微笑を残し、天のパイプは消えていった。永久に自由な魂の羽音が聞こえた。(1987年10月 長谷川佳子)

図版:公安委員会で執務中のサン・ジュスト(部分)<グルーズ画>