まずはじめにクイズです。
下の6枚の絵は文中に出てくる少女漫画の6つの作品に描かれたサン・ジュストの顔です。どの顔がどの作品のものか、当ててください。正解者にはオリジナル絵はがき(3枚組)をプレゼントします。住所氏名を明記の上、Mailを送ってくださいね。
少女たちというものは性来、天使を好むものらしい。最近の天使グッズの流行は言うに及ばず、少女漫画の世界でも、天使を主人公にした作品は、天城小百合「魔天道ソナタ」、高河ゆん「アーシアン」を始めとして枚挙にいとまがない。そんな少女漫画が<天使>と呼ばれた若者を見逃すはずがない。
ルイ・アントワーヌ・レオン・フロレル・ド・サン・ジュスト。
この長ったらしくも美しい名前を持つ美貌の革命家に、最初に興味をもった少女漫画家はどうやら木原敏江(としえ)らしい。1971年、週刊セブンティーンに掲載された「虹の歌」という短編に、ほんの1コマだが、サン・ジュストがアップで登場し、「人は罪なくして王たりえない」と断言している。
当時をふりかえって、木原敏江は語る。
「高校時代の世界史の先生が、人名も地名も原語で黒板に書く先生で。その影響で、歴史-とくにフランス革命に夢中になりました。『神々は渇く』とか一生懸命読んだりして。だってすごいでしょう。日本だったら、お上のご慈悲を、とかいって一揆を起こすのがせいぜいの所を、革命を起こして王様を処刑しちゃうんだから。サン・ジュストについては何という長く美しい名前の人だろう、と。
『花ざかりのロマンス』にも大天使と呼ばれる人物を登場させましたが<大天使サン・ジュスト>の語感が自分のなかに残っていたかも知れませんね。
今は、興味が他に移ってしまいましたけれど。やっぱり動乱の時代は好きですよ。中世の髪も帯もなびくような時代がいいですね。」
その言葉どおり、「アンジェリク」「摩利と新吾」の作者として知られる彼女の近作は日本の中世を舞台にした「夢の碑」である。
1972年には、いよいよ池田理代子の劇画「ベルサイユのばら」が登場。フランス革命を描く、全12巻に及ぶ大河歴史ロマンだが、宝塚でも舞台化され、アニメや日仏合作の劇映画にまでなって「ベルばらブーム」を巻き起こしたことはご存じのとおりだ。
連載中の「週刊マーガレット」誌上にサン・ジュストが登場したのは1973年28号から。国民議会開催を喜ぶ市民たちの中で、主人公のオスカルが男装した美女と見間違えるのが22歳のサン・ジュストなのである。
オスカル自身が、近衛士官として男装した貴族の令嬢であることは、いうまでもない。彼女は一瞬、サン・ジュストを自分の同類だと思いこんだのだ。両性具有性というものが、この作品のテーマのひとつであるとすれば、この後、革命が進行していくにつれ、サン・ジュストはオスカルの陰画的分身として物語を脇から支えていくようだ。
さて、「ベルサイユのばら」終了後、引き続き1974年から週刊マーガレットに連載開始されたのが「おにいさまへ」(全3巻・集英社)だった。私立青蘭学園高等部に入学した奈々子がおにいさまと慕う進学教室の学生教師に送る手紙の形で綴られる学園ドラマである。
その学園の人気を二分しているのが<薫の君>と、<サン・ジュスト様>と呼ばれる二人の女生徒だった。奈々子はしだいに影のある冷たい美貌のサン・ジュストに惹かれていく。そして憧れの人の早すぎる死。
社交クラブ<ソロリティー>とともに、サン・ジュストの名を少女たちに定着したこの作品は、「ベルサイユのばら」の両性具有性を拡大し、<死の大天使>のイメージで味付けしたものである。あくまで「ベルばら」的なものを求める読者と、作者のサン・ジュスト的なるものへの思い入れが一致した佳作であり、最近アニメ化もされている。
少女漫画の一方の王道を行く上原きみこが週刊少女コミック誌上に、サン・ジュストを副主人公に据えて「マリーベル」(全12巻・小学館)を連載し始めたのは、1978年のことである。
上原きみこといえば、まんまるな顔の半分を目が占めているような少年少女が活躍する「炎のロマンス」「ロリィの青春」などで小中学生の人気を集めていた作家だ。
捨て子のマリーベルはイギリス貴族の館で育ち、愛に傷つき、幼い頃別れた兄を探してフランスにわたる。女優を志す彼女は、コメディフランセーズの大女優ジャンヌと舞台で対決することを誓う。やがて反革命の容疑をかけられたマリーベルは、国民公会の議員サン・ジュストが、かつての女装したヴァイオリン弾きのフロレルであり、実は探し求めていた兄アントワーヌでもあると知って驚く。
王党派のジャンヌと、敵対するサン・ジュストはいつしか愛し合うようになるが、何と二人は異母兄妹だったのである。ジャンヌはそれを知らぬまま女優として誇り高く断頭台に登り、サン・ジュストもまた、テルミドールの刑場の露と消える。「それぞれの青春をきみにたくそう…マリーベル」という思いを残して…。
フランス革命という激動の時代を舞台に「紅はこべ」のように奔放想像力をひろげた作品で、ダントン、ロベスピエール等の革命家をのぞけば、ヒロイン始め、ほとんどが架空の人物。ジャンヌ・ド・モローといったネーミングを見れば一目瞭然のことだが。
ここに描かれたサン・ジュストはブロンドの丸顔で14歳の少年のようにあどけない。そのうえ、なかなかフェミニストである。実在のサン・ジュストは、ルソー時代ののことゆえ、女性の教育など思いも及ばず、墓も(妻ではなく)友と葬られるばきだと言った人だが。マリーベルは最初、彼を女だと思い、「女一人で生きるってこのことよね。誰にも頼らず自分の腕一本で…」と感動すらしている。
革命の描き方こそ活劇紙芝居調であるが、マリーベルの成長と冒険には、やはり幼い少女たちの胸をドキドキさせるものがあるのだろう。生家が城だったり、「オルガン」を実名で出版したりもするが、サン・ジュストの言葉は正しくそして数多く引用されている。
「幸福とは…ヨーロッパにおける一つの新しい観念だ…」
1979年、少女漫画論の名著、橋本治の「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(全2巻・現在は河出文庫収録)が出版された。
その第一章で、少女漫画の王道―上原きみこのような―をたどりえない作家として論じられているのが倉多江美である。彼女もデビューの頃は、王道路線を希求していたらしいが、何しろ彼女の漫画は「水分が三割欠乏しているという世界である」から花咲く乙女たちを描きえなかったと、橋本治は評する。
実際、「ジョジョの詩」「ばさつ日記」「一万十秒物語」などの作品は、<世界>のみならず<人物>まで針金のようにやせて乾いて、<お目めウルウル>の少女漫画路線からはかけはなれているが、それは作者のシャイな性格によるものだとされている。
一方、読者は、彼女の乾いたユーモアにつきあっているうちに、つい、不条理やら自我の問題やらに出会ってしまう。そんな不思議な世界なのだ。
その倉多江美が、上原きみこに続き、フランス革命に取り組むことになる。「静粛に、天才只今勉強中!」(全11巻・潮出版)は、1984年から月刊コミック・トムに5年の歳月をかけて連載された。
主人公の名前は、ジョゼフ・コティ。彼は修道院付属学校の教師で、熱気球の研究に熱中にている。やがて学校を追い出されたコティは、その日和見主義的処世術で動乱の時代を泳ぎ、いつしか国民公会議員に選出されてしまう。会議場でも人数が多いからという理由でジロンド派の席に座り、サン・ジュストの演説で大勢が国王処刑の方向に傾いたと察すると死刑に一票を投じ、ルイは一票差で処刑されと軽蔑されながらもジャコバン党に組みし、地方派遣議員としてリヨン大虐殺の責任を問われるや、テルミドールのクーデターに参画し、サン・ジュストとロベスピエールとを弾劾。逮捕、処刑してしまう。
その後、形骸化した共和国の中で彼は、次第に勢力を増してきたナポレオンに近づき片腕となり、戴冠後はその影の支配者として、ロシア敗退後も一人権勢の座を登りつめたのだった。
コティのモデルは、陰謀家として知られるジョゼフ・フーシェであろう。その悪評は、ツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像」(1979年に岩波文庫収録)でとみに知れわたってしまったが、倉多江美は、この主人公の生涯を、軽妙な乾いたタッチで描く。国王裁判では議員サド?が「縛って鞭打ち」と裁決するギャグシーンまである。政治体制が変わるたびに民衆が「前の方がまだましだった」と愚痴るシーンなどもまるで現在のどこかの国のようだ。
コティは恐ろしい陰謀家としてではなく、激動の時代に巻きこまれた、等身大の小市民的な日和見主義者として描かれている。
それと対照的なのがサン・ジュストで、彼一人が冷徹であくまで美しく、あたかも血の通っていない人間のように見える。普通の人間を倉多江美の世界に持ち込むには、デフォルメして水分を絞ることが必要だが、ストイックで共和国の理念のために体中の水分を凍らせてしまったようなサン・ジュストは、そのままに描けばよかったというのだろうか。
ロマンティックな感情移入を拒む、大人の笑いがここにはあるのだ。
サン・ジュストを描いた最も新しい、そして本格的な少女漫画はベルネ(BELNE)の「銀弓神」(全1巻・角川書店)である。
長谷川佳子の原作による「銀弓神―ヒュアキントス抄」「闇の鏡―ヨハネの馘」「闇の鏡―火の洗礼」からなる、この3部作は1990年から1991年にかけて増刊「ASUKA」に掲載された。
「銀弓神」は恐怖政治下のパリで、アポロンと美少年ヒュアキントスの絵を描こうとしているダヴィッド派の画家を主人公としている。彼が密かに太陽神のモデルとしたのが、その美貌と、革命達成のために行った苛酷な粛正ゆえに<死の大天使>と恐れられていたサン・ジュストだったのだ。銀弓神とはアポロンの別称、世界を死で浄化する疫神のことである。
「闇の鏡」では「すべての男は友の名を明らかにしなければならない」という引用を扉に持つように、サン・ジュストと、その友、ロベスピエールの死を描く。彼はフリーメイソンの秘儀を通して、キリストを先導する洗者ヨハネのごとく、ロベスピエールを共和国の救世主にしようと望むが、テルミドールの反動で友とともに断頭台に散ったのである。
作者ベルネは、一人のロックスターの生と死をめぐる男達の愛を描いたBelne's loveシリーズ(「蒼の男」他)で知られている。彼女の描く男たちは、死と向き合う姿が実に官能的で美しい。サン・ジュストが最も美麗に、そして正面から描かれている作品といってもよいであろう。特に「銀弓神」はバランスのよくとれた佳作である。
「銀弓神」の原作者、長谷川佳子は、自費出版ながら、少女漫画における唯一のサン・ジュスト伝ともいうべき「サン・ジュスト幻想」(全2巻・ヴァルカン社)の作者でもある。1981年から、自ら主催する同人誌「ヴァルカン」に連載された。綿密な時代考証に基づき、1コマ1コマが銅版画のように精妙に描かれ、1巻は大学時代同室だった神学生ニコラ、2巻は秘書チュイリエの目を通して語られる。魂の不滅と転生が隠れたテーマのようだ。
どの作品においてもサン・ジュストはくり返し<大天使>と呼ばれる。<花のサン・ジュスト>の名もあるが、美しさも、清らかさも、恐ろしさも、両性具有性も、むしろ<大天使>の語にこそ内包されているのだろう。
クールな美形―しかも両性具有的な―は少女の最も好むキャラクターらしい(いや、むしろ少女の理想の自画像かもしれない)が、サン・ジュストこそ、それに打ってつけではあるまいか。だからこそ、<大天使>サン・ジュストは様々に変容しながら、くり返し、少女漫画の中に転生しているのであろう。