10話   おだやかな、時間

「ただ一撃」という題の小説が、藤沢周平さんにある。

 タイトルの付け方の巧みさでは、「風にそよぐ葦」の山本周五郎のほかには藤沢さんしか知らぬ。さほどに旨い。いやいや、今日の手控えで書こうとしているのは、そんなことではない。
 昨日が、ただこの一日!というにふさわしい休日であった、ということを言いたかった。

 ヤボ用があって仕事を休んだのだが、午前早いうちに片づいてしまい、午後は本でも読んで過ごそうかとおもっていた。しかし書斎の窓から見ると、空はあくまでも青く、開けはなった窓からは爽やかな風が、室内に垂れ込めている小生をからかうように通り過ぎて行く。

「こんなことはしていられぬ」
 とばかりに、自転車を引っぱり出して、拙宅から一里ほど北東にある航空公園に向かった。もと帝国陸軍航空隊発祥の地であり、航空士官学校があったところであり、戦後は進駐軍の基地であった此処は、いま緑あふるる広大な都市公園として市民の憩いの場所になっている。しかしだ、平日の昼はやい時間にここで憩いの時を過ごしている市民はま、普通の市民ではないだろう。普通なのは木曜日だから伊勢丹の社員くらいだろうか。いや、伊勢丹は水曜日が定休だったかな。

 例によって、うるさい音をたてまくりながら、車の付いた板っきれに乗って遊んでいるばか、いや若者たちを避けて、広い芝生の広場のベンチに場所を決めた。
 来る途中で古本屋をのぞき、藤沢周平さんの「夜の橋」(中公文庫)があったので購入した。もちろん、そのとなりの酒屋でビールも購ってある。
 陽射しはやや強くなって、芝生の緑が鮮烈といっていいほどあざやかに目を射る。ベンチに寝そべり、ビールを飲みつつ藤沢さんの世界に浸りこんでいった。

 何刻たっただろうか、目が醒めたらすでに日は傾き、公園は静謐な黄昏を迎えようとしていた。すこし体を動かし、背伸びをしてから芝生においておいた自転車をひきおこした。

 家に帰ったら、カミさんがワインを開けてと言った。スパゲティとワインの夕食。そのあとビールと薩摩焼酎。夜の本は池波正太郎さんの「剣客商売」

 そういえば、「よい香りのする一夜」というタイトルが池波さんにあったなあ。
 いつもとはいかないだろうが、きょうのような穏やかな時間を大切にしたいものだ。


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