30話   ふたつの風景

 心のなかに、二つの風景が浮かんでくる。いずれも明るい夏の陽の光のなかにある記憶である。

 ひとつは子供のころの故郷の海。桜島の港の端の古い桟橋の先端である。そしてもう一つは、10年ほど前の奥多摩の山の渓の風景だ。
 穏やかな南国の海の、眼をまぶしく射るように輝く海面に、微かに揺れてちいさな浮木がたゆたっている。てっぺんが赤く塗られた細い浮木は、2、3度軽く上下したあと突然海中に引きずり込まれ、沈んでいった。小さな手に持った延べ竿に、まがいようのない、いのちのどよめきが伝わってくる。小学生の私は竿先をゆっくりと上げ、ハリに赤い小魚が付いていることを確かめると、そのまま竿を大きく左へ回し、桟橋の反対側の海にほおりこむ。再び水を得た魚は大急ぎで逃げようと泳ぎ出すのだが、桟橋のそちら側にはイカの大群がいて、長い足を伸ばしながら忽然と出現し、小魚を抱き抱えるように捉えるのだ。イカが小魚を抱き込んだのを確かめて、ゆっくり竿をあげる。イカは未練たっぷりに小魚を抱いたまま上がってくるが、さすがに空中で足を放し、また海へと帰っていくのだった。
 これが小生の釣りの記憶の「最初」である。
 30才前半はSP(セールスプロモーション)局で、それこそ朝から朝まで(ホントにそうだった)働きづめの数年だった。一ヶ月の残業が200時間を超えることも珍しくなかった。そして二度に渡る手術と入院。
 喉のポリープを除去したあと、一ヶ月の無言治療(しゃべってはいけない)を厳命された。一日中しゃべらなくて済む「渓流釣り」を覚えたのはそのときだった。

 ある夏の朝、ぼろジープに乗って初めて行ったのは奥多摩のさらに奥、丹波川の支流の後山川(うしろやまかわ)である。ブナや小楢(こなら)の枝葉が川面に影をつくり、そのあいだから降るような陽の光が川の小さな波に反射して、ガラスの小片のように輝き散っていた。その浅い瀬の流れの中から、鮮やかなパーマークを持つヤマメを引き抜いたのが、小生の渓流釣りの最初の思いでである。
 初めて飲んだ酒、初めて隠れて吸ったタバコ、最初のクルマ、一人で暮らした部屋、初めての給料等々、記憶の初めにあるのは、いつまでも鮮やかである。そして、初めての記憶は、ま、大体が、感動と共にある。この感動を、実は大切にしたいと思っているのだが。

「釣果より潮風」・・・このキャッチフレーズを小生の生涯の釣りのテーマ、自戒、反省、そしてやせ我慢にしていきたいと思う。

 夜、すこし雨が降った。仕事の帰りに、山口教授にジャズの店に連れていって貰い、古いレコード盤でいいピアノを聴いた。ジャケットの絵がひるね蔵の表紙の複葉機パイロットにそっくりな。 アイリッシュウイスキーをなめながらアコースティックな旋律を楽しむ、あ〜良い夜だったなあ。


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