203話     雨あがる

 あ、もう十時すぎたよ、とあわてて支度し、カミさんと自転車で新所沢のパルコに出かけた。

 子供らは部活や遊びに出かけてしまっていない。数日前から家の回りに野良犬が出没しているとカミさんが言っていたが、出かけようと玄関のドアを開けたら、きっとそいつだろう、一匹の犬がいた。小さな雌の柴犬だ。門のそとに立ちじっとこちらを見ている。人なつっこさと、警戒心と、エサほしさの混じったまなざしでこちらを見つめている。手を差し伸ばしたら、びくっと耳を上げ素早く退いた。カミさんがなにやら小皿にいれて運んできた。「このわんこ、かっぱえびせんが好きなのよ。朝、ドッグフードをあげたのだけれど」


 近所の奥さん方がそれぞれ小皿を自分の家の前に出している。しばらくはこの野良公、エサにありつけるらしい。

 カミさんと見に行ったのは、映画「雨あがる」だ。山本周五郎の短編を原作とし、黒澤明監督が脚本を書いた。だが、黒澤はこの作品を映像にすることなく、黒澤組の人々と幽冥境を異にしたのである。その遺髪を継いだ黒澤組のスタッフが作り上げた映画だ。「見終わって晴れ晴れとした気持ちになる作品とすること」という黒澤明の言葉に見事に違わぬ作品になった。評論家の佐藤忠男は、まず寺尾聡が良かったという。次に宮崎美子。だが、小生はなにをおいても妻を演じた宮崎が一番であると思う。理由は長くなるので言わない。寺尾はさすがに素晴らしい芝居をした。原作では「小野派と抜刀をいささか」という設定だが、映画では無外流の使い手ということになっていた。寺尾の抜く立ち居合いも見事だったが、なにより映画のオープニング、雨の中を傘をさして川縁に歩く姿が良かった。刀が腰に馴染み収まり、背筋が伸び、歩きに隙が無かった。剣を抜いてもいないが、剣をつかえる侍ということがすぐわかる、そんな歩きだった。パンフレットによると半年間の稽古の成果だという。刀を操る技は半年もやればまあできる。しかし、寺尾が発した剣客の目の光りは演技の巧みさでもあり、それだけでもあるまいなと小生は思った。

 この映画の中には、確かに昔の様々な日本を感じることができる。この國の人々、自然、感情、やさしさと哀しみ。原作は文庫本で40ページに足らない短編作品である。このなかにさらさらと描かれたものの大きさと豊かさ、そして原作をさらに輝かせた脚本のすばらしさ、55才の新人、小泉監督を始めとするスタッフも素晴らしかった。(年齢といえば、黒澤組の平均は70近いのだ。驚嘆する!)

 カミさんとお昼をすませ家に帰った。ドアの前にまたあの野良がいた。うん、仕官の口を探すというのは大変だなと野良公をみて思った。

 カミさんがパンフレットを読みながら小生に聞いた。

「寺尾聡って、剣術は上手だった?」「なんで?」

「これまで剣術はやったことがないんだって」「うん、上手だった」

「とーちゃん、ちょっとあれ、やってみせてよ」

 まったく、映像の影響はおおきい。これまで言ったことがないのに、小生に抜刀をやれという。

 書斎から、稽古用の刀をもちだす羽目になってしまった。


ホームへ帰る