207話   期首、期末

このタイトルを見て、ふ〜、とでも、う〜とでも唸ったり溜息をついたりするのは、給与生活者の方々。そう小生と御同輩の宮仕えの皆様方のはずだ。多くの企業の会計年度が4月〜3月であるから、組織や人事もこれにあわせて行われるということになっている。つまり3月(来月だ!)には新年度にむけての体制が固まるし、固まらなくては企業としての年は明けない。したがって、2月から3月にかけて、昇格降格、異動転籍、派遣出向などさまざまな人事が発令されることになる。もちろん入社前の研修にと出社する新人もいるし、退職届けを書く人もいる。悲喜こもごもという言葉の本当の意味を、これほど感じる時期はない。

 江戸時代の武士階級は世襲だからそんな心配はなかったかというと、実はそうではないのだ。家禄こそ一応安定してはいたが、社会(貨幣)経済が活性化してゆくにしたがって札差や本両替などの大商人にキン○マを握られるようになり、相対的に苦しくなる生活の中で、猟官運動に血道をあげる旗本・御家人は絶えなかった。

 お役につけば役禄が貰えるし、役に応じた役得というものも期待できる。小普請(無役=窓際)に入ったおびただしい貧乏御家人たちの悲哀は、現代のハローワークに日参する求職者たちの比ではなかったはずだ。

 特に、なかなかお役につける可能性の少ない次男三男にとっては「厄介」ものの身分から脱出するには、なにか腕に技(わざ)がなくては叶わなかっただろう。ある者は剣を学び、ある者は職を身につけた。

 前者の例がたとえば辻平内であり、後者のひとつの例が新宿のつつじ栽培だった。

 辻は池波正太郎の「剣客群像」に登場する無外流の達人。つつじを栽培していたのは新宿大久保に、今も地名に残る鉄砲百人組の御家人たちである。

 虚と実、個と群の違い在るとしても、いつの時代も口を糊するのにはなかなかの決意や努力そして知恵、工夫といったものが必要だったのだなと、ついマジメに考えてしまった。

 映画になった、山本周五郎の短編「雨上がる」の中で、浪々の身を飄々と、風と剣に託していた三沢伊兵衛のような生き方もあるか、まあ、ありゃあお話だからなあと苦笑い。

 そういえば、あのノラ犬の姿が見えないな、どうしたのかなとカミさんに聞くと、「きのうバイパスで死んじゃったのよ」

 カミさんが落ち込んだ声でいった。

 近所の奥さんがたがエサや水をやっていたのだが、とにかく繋がれていない身上だ、交通量の多い新しい国道にふらつき出たところをはねられたらしい。

「けっきょく、仕官かなわず・・・か。可哀想だが」

 窓の外をみると、雀の群が隣家の軒先に騒いでいる。眼下にある餌をめあてに集まってきたのだ。

ロッキーという老愛犬、気が優しく、雀が目の前で自分の食事に群がっていても追おうとしない。近在の雀たちは妙に肥え太り、ロッキーはスレンダーなままだ。

儚いものも、でないものも二つながらあるのがこの世ということか。人も同じ、いずれは儚き生けるものではあるのだが。


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