215話 4.22

創る、ということ

 鈴木輝一郎さんという時代小説作家(現代ものも書く)がいる。
 確実な文章力と安定したプロットで、しっかりとファンを掴んでいるひとだ。

 この人が、こんなことを言っていた。
「文章はね、なんでもいいから毎日必ず書くことです。雑文でも、日記でも」


 
 鈴木さんは、自分のホームページをほとんど毎日更新している。糸井重里サンのように、スタッフに更新させるのではなく、自分でやっている。取材旅行の時など、モバイルでFTP(サーバーへの転送)をしているらしい。

「お忙しいでしょうに、よくホームページの面倒までみられますね」と感心すると、

「いえ、大した内容じゃないし。テキストだけですからね。それに・・・」
 直木賞作家でもない自分の本は、宣伝しなきゃ売れないしね、著作のプロモーションのための更新ですよ、と照れていう。
 鈴木氏の連日といっていいサイトの更新は、実は「毎日、なにかしら文章を書く」ためであると小生は思っている。そして、鈴木氏の文章には技巧だけでなく、生き方の作法がちゃんと顕れていることにも気づいている。その作法を鍛え、練り上げ、彼の作品に登場する多くの主人公のように、臆せず躊躇わず果敢な人生を送ろうと志しておられることが確かなこととして、そこから窺える。

 マーケティングに掣肘される点では作家とは違うが、広告のクリエイターも文字どおり創造者であるはずだ。作り手としてのこころざしは、そのあるなしを含めて制作物に反映されるのは当然だと思う。作品にそれを見たとき、嬉しい気持ちになるのは小生だけではないだろう。

 オンエアは終わったが、総理府の「ノーマライゼーション」というTV-CMがある。 この作品からは、作り手の志が伝わって余りある。お役所の担当者との戦いに耐え抜いて完成させたという内情は、このCMの制作を担当した若いCMディレクターから聞いた。

 ハンディキャップをもつ人たちを、そしてその人たちの希望と夢を正面から捉えたこのCM、クライアントの狙いを遥かに超える、強い力を持った作品となった。

 こころざしを、それと意図せずにコミュニケートできるような、絵を描き、文章を綴りたいものだと、本当にそう思う。

 そういっておいて、なんだけれど、以前書いた「いわなの冬」という短編(と呼ぶも恥だが)に挿し絵をつけた。タブレットとペインター、フォトショップのコラボレーションのおかげで、貧弱な表現力しかない小生でも、絵の楽しみを拡大することができる。ありがたい世の中になったものだ(爺臭いなあ)。

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