221話 6.4
回転寿司の夜
 あとで聞いたのだが、どうもこういう会話だったらしい。

「アタマの中で、ウニと海老が回っているんですう」
 あー、ハラが減って、減ってと娘盛りらしくもないぼやきを吐いたのはわが仕事場のニューフェイス K嬢。素材用の写真集をチェックしていたのだが、食材写真のページで目が点になってしまったのだ。

「だから、さっさとそれやっちゃえよ。終わったらメシに連れていってやっからよ」
 Kに仕事を言いつけていたクリエイティブディレクターのAが野太い声で吼えた。時計を見るとそろそろ夜も9時半になろうかという時間だ。
「制作ってのはな、寝ても醒めても、明けても暮れても、会社にいても遊んでいても、仕事のことを考えるんだ。ま、自衛隊と同じだな。24時間勤務だと思え。甘やかしはしないからな」

 こわもてで鳴るAが軽く凄んだが、K嬢はちっとも聞いてはいなかった。

「だってえー、このウニがウニが・・・」

「おめえの脳がウニになる前に、さっさと片づけてしまえ。な、メシは奢るからよ」
「え?ホント。じゃあ寿司ね!寿司がいいわ」
「中華はどうだ」
「寿司!」
「餃子のうまい店があるんだ」
「寿司!」
「シューマイもつけてやる」
「ダメったら、ダメ。寿司」
「社会党みたいな奴だな」
「だって、頭とおなかがもう寿司モードなんだもの」
「仕方ない。さっさと仕事をすませろよ」
「やった!すし、すし、すし(5〜6回繰り返して叫ぶ)」
 
 しかし、AもK嬢にやられっぱなしではなかったらしい。寿司は寿司でも回転寿司で、ビールは一杯まで。白色(120円)や、茶色の皿(250円)まではいいが、銀色の皿(400円)は厳禁。金色の皿(600円)などもってのほか。したがって、K嬢のアタマの中をぐるぐる回っていたウニも海老もダメ。そういう約束で、二人は六本木交差点近くの回転寿司屋に出かけた。

「あ、こら」Aが制止するヒマもなかったという。席についてAが店員にビールを頼もうと後ろを向いた瞬間に、K嬢の手が魔法のように動き、白い太めの「エビ」のようなものがKの口の中に消えた。

「あ、これって白い皿じゃあないわ。銀色ね」
「っきゃろー、ボタンエビが120円なわけねーだろ。しょうがねえなあ」
 回転寿司屋の客はほとんどが外国人だった。Aの向かい側に座った二人連れの女性客はどうもイスラエル人らしい。(なぜAにそうわかったのか、理解できないが)左側のかなり美人のほうにAの視線が移ったときに、またK嬢の手が電光のように動いた。Aが気付いたときには「ウニ」の軍艦巻きのようなものがKの口の中に飛び込んだ後であった。
 勝敗はどうも決まったようだった。釣り師でもあるAは、こと勝負に関しては、あきらめは早い。
「どれ、すこし貰おうか」
 右側から縦列を組んで流れてくる皿をじっと見る。アナゴの皿が3つ続いて前進してくるところだった。できるだけ大きなネタを一瞬にして見抜きさっと手を伸ばす。Aの手が皿の一寸手前でピタリと止まった。

「いやね、ネタはでかかったんですがね」シャリに目をやった瞬間、アナゴにかけられたツメ(たれ)がそのシャリを浸潤し、握られた強度を分解しつつあることに気がついたという。

 Aの行動を右目のスミでしっかり見ていたのだろうか、カウンターの中の店員がその皿をさっと取りあげた。ネタを左手にのせ、シャリを捨て、あたらしいシャリを右手で握って左手に載せたネタに押しつけた。そして何事もなかったかのように再びそのアナゴの皿が戦列に復帰するまでにAの眼前を通過した皿は数枚に過ぎなかったという。Aはそのことを「人生を感じてしまいましたね」と感慨を込めて表現した。

 客に看過されてもされても、ひたすら回転し続ける白い皿の寿司たち。ツメのために身をぼろぼろにされても新しいシャリを与えられて戦列に動員されるアナゴのけなげさ。ぐるぐる回る回転寿司達に、Aは働きつかれたわが身を置き換えて妙にしみじみした気持ちになってしまったらしい。

「遅くまで悪かったな」と、柄にもなくK嬢を思いやるAであったが、横をみると既に10枚以上の皿の山を前に満足した顔のKが、ちいさくゲップをして言った。

「最後にもうひとつボタンエビってのは、どう?」

                    (この話のみはフィクションです)



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