225話 7.2
アジの骨酒

JEEPの隣で干し上げる


アジ寿司と骨酒

 趣味は?と聞かれて、正直に答えたら

「それって、勇気のあるお答えですな」
 質問者である高名な弁護士センセイにそう言われた人がいる。
 答えた人はヨシイさん。愛車ジープに狂熱を注入するだけではモノ足りず、強力な感染力をもつジープ症候群ヴィールスを散布するため、このほど「jeep for ever」というサイトを開設した方だ。
ヨシイさんはこう答えたのだ。
「私もクルマが好きでして。いま、ジープに乗っています。釣りにもそれで行ってます」

 高名な弁護士は、このヨシイさんの回答のどこが勇気ある発言だというのだろうか?ジープ=野蛮、釣り=オヤジ臭いとでも反応したのだろうか?たとえば、音楽と、ゴルフを少々とでも答えれば良かったのだろうか?迷彩服を着て野原でキャンプを少々、とか、ナイフを少々とか、大酒を飲むんですとか言えば、このセンセイの思考回路は、もしかすると崩壊するかもしれない。

  高名なセンセイはそういう日にはゴルフに行くのだろうが、先週の金曜日はよく晴れて風も穏やか、想像もできないくらいの素晴らしい日だった。前日の夕方、デスクのK嬢に、

「伝票だけどさ、結構大変かい?月末だし」

 あたりまえでしょ、といいたそうな目でK嬢は小生を睨んだ。だが、小生の手に「週刊つりニュース」がしっかりと握りしめられているのを見て、すぐにまた伝票整理の作業に集中し始めた。小生と話しても時間の無駄と瞬時に判断したのだろう。業務の効率化を追求するK嬢の姿勢は正しい。

「じゃ、お先に」と足早に仕事場を出た。携帯電話の電源も切ってある。脱藩者や出奔者にとっては、追手をまくのがなにより肝要なのだ。

 金曜日の朝、8時に所沢を出発した。目指すのは横須賀走水港。船宿は「関義丸」。アジが好調だというので、午後船に乗ることにした。午後11時半、愛車のジープは走水漁港の駐車場にすべり込んだ。途中止まることもなく順調だったが、渋滞のため3時間半もかかってしまった。

 午前船が帰港するにはまだ時間がある。ひろい岸壁に沿った駐車場には人影もなく、かすかな風が、潮と重油と魚の入り交じった、港特有のにおいを撹拌していた。

 ジープから軍用の折り畳みイスをだす。英軍のコンパクトな野戦用テーブルも広げ、仕掛けを作りながら、おにぎりと麦酒で昼飯にする。

 空は青く、白い雲の断片がはるかな高みに浮かんでいる。沖合いには輸送艦の巨大なグレーのシルエットが縦列を組んで、ゆっくりと湾奥に向かっているのが見える。おそらくは三宅島沖から帰還してきた海上自衛隊の船だろう。

 海は午後の日差しを受けて眩しいくらいに輝いている。午前船が帰港し、午後船の出港準備がはじまるまでの、しばし静かな時間だ。高名なセンセイが味わうこともない、至福の時間だ。

 午後船は1時ちょうどに出港した。釣り客は、両舷で11名。うち3名ほどは準スタッフといっていい常連サンだ。港のすぐ前でしばらく潮回りしたあと、一路本船航路へ。大物を狙う戦略か?結局落ちついたのは、観音崎の灯台を眼前に望む場所だ。潮が早く、金色の大アジが(運と腕によるが)釣れるところだ。

 あんどんビシにミンチと期待を詰め込んで第一投。潮が早い。底が取りきれないうちにダボハゼを一荷で掛けてしまい苦笑。

 第二投目。着底して2m上げ、コマセを振ってゆっくりと竿先を船縁の高さまで聞き上げる。ホンの数秒でアジ特有のククッというあたり。ゆっくりとまき始めると二匹目が食いついたらしく引きがさらに強く、重くなった。深さ35mほどの海域だ。手巻きのリールでも気楽なものだ。やがて上がってきたのは、22cmほどの小振りなアジ2匹。小振りとはいえ、幅広い鮮やかな金色のアジだ。

 それからは、コンスタントに釣れ盛り、結局5時の沖あがりまでに50とすこしの釣果となった。

 この釣果は、同僚宅や近所の友人に少しづつ配り、のこりをアジ寿司や一夜干し、塩焼きでいただいた。脂ののった旬のアジ。走水のブランド鯵は、言葉に尽くせない旨さだった。カミさんのアイデアで、アジの骨酒も試してみた。これがまたすばらしかった。脂が金色に輝くように滲みだしてイワナの骨酒に負けない豊かな味わいとなった。純米酒で楽しんだ骨酒のあとは、本格焼酎「百合」で刺身。夜の酒では、生干しを軽く焼いて肴にした。

 さて、気持ちのいい釣りを終え、愛車ジープで家路についたのだが、途中で会社に連絡をいれた。平日の釣行だ、給与生活者としては当然である。なにか、ある?という小生に、

「お待ちください」
 とK嬢は答えて、電話をそばにいるらしい誰かに渡した。よぎる不安。その瞬間、「ナンビキ釣れたんだあ」野太い声が耳元で炸裂した。仕事場の同僚の釣りオヤジ達には無断の釣行だったのだ。とくにクリエイティブディレクターのAは、忙しさのあまり釣りに行けない禁断症状が酷いので、思いやって、あえて通告しなかったのだった。
「100くれえかな」
「そうかい、声が笑ってるよ」
「久しぶりだからなあ」
「お互いにな、きのうまでは」

 K嬢が電話に出て、気の毒そうに言った。

「伝言メモは特にありません。でも、常務が探していらっしゃいました。お急ぎだったようです」


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