緊張感がたりんど〜
そらきゅう
 もろきゅうじゃないよ。
 これは、盃の名前、というか、種類のこと。意味不明という点では鹿児島弁と一緒じゃんとお思いのかたもいらっしゃるだろう。そう、鹿児島の酒器の名前だ。
「からから」といい「ちょか」といい、よくわからん由来の名前が薩摩の酒器には多いが、この「そらきゅう」は割に簡単だ。「そら」を見上げて「きゅう」と一気に飲み干すようにできている盃という意味である、と売り場の女店員は説明してくれた。いずれにせよ真偽のほどは不明だ。
  この盃には底がない。円錐型のぐい呑みだから、テーブルに置くことができない。常に手に持っていなくてはならないから、ついつい続けざまに飲んでしまうのだ。そらきゅうには、円錐型のてっぺん近くに直径5ミリほどの穴が穿たれているものもある。これはさらにシッカリと持っている必要がある。右手の薬指をこの穴に常に添えて置かなくては、中の焼酎が漏れてしまうから。
 仕事仲間のO女史は、新橋の某居酒屋ではつねに盃を放さない。そう、彼女はこの「そらきゅう」をマイ盃としてこの店にキープしているのだ。テーブルに置けないから、飲み続けるしかない。盃を手放さないのではなく、手放せないのだと女史はおっしゃるが、彼女の場合、これは同じことだろう。
 手放さなくてすむ盃を愛用している女史の姿には、ワーカホリックである昼間の姿がオーバーラップしてしょうがない。働くのを止めたらそのまま人生をフェイドアウトしてしまいそうなほどの働き者は、このごろのわが国では珍しくなった。サラリーマンは「楽な」仕事を望み、学童は「楽しい、ゆとりある」学校生活を送り、池袋のがんぐろねーちゃんは「カンケーないじゃん」と社会規範に背を向けて楽しく青春をエンジョイなさる。政治屋は(国民の)金をバラ撒き票を買い、小賢しい14才は包丁を振り回して人を傷つける。
 この国に必要なのは、役人がいう「ゆとり」などではなく、「そらきゅう」のようにシッカリと持ち続けなくてはならない国家としての緊張感ではないのだろうか。指を放すと魂が漏れる。放置すると瞬時に中身は失われる。その危うさのただ中に、国も国民も今あることを自覚することではないだろうか。

                  

表紙にもどる  過去の手控えにゆく