241話 11.4の手控えより
麹の神様
 昭和36年、この年に焼酎業にとっては画期的なことが起きた。これまで杜氏の職人技に頼るしかなかった製麹工程の機械化を実現した自動製麹機の発明である。
 この発明によって、蔵の仕事は大きく変わったといっていい。昔ながらの手造りカメ壷仕込みの大切さは言うまでもないが、薩摩の蔵がきちんと経営を成り立たせるには、安定した作品を継続的に生産してゆくことが必要だ。そして、そのために製造過程のなかでの効率化、安定化を図るのは当然のことである。その点で、米麹用の米を洗い水分を吸収させる浸漬(しんせき)の工程、蒸きょう、そして冷却から製麹へという、一連の工程を自動化する発明は薩摩の焼酎業界にとっての福音であったといっていい。そして、注目すべきは、この自動製麹機を発明した当人が言うこの言葉である。
「大事なのは、麹だ。機械に頼っておろそかになってはいけない」
 そのとおりだと、秘剣は思う。
 本格焼酎は「工業製品」では断じてない。
 
有用微生物の天然の力の作用によって生まれるものに人が手を掛け魂をつぎ込んではじめて「作品」として生まれるものだと思う。
 本格焼酎の造りで大切なことは何かと聞けば、答えとして返ってくるのは、米であったり、原料の芋であったり、また仕込みに不可欠な水であったりするだろう。それはそのとおり、すべてが造り手の工夫や努力によって磨かれ、見いだされ、育まれてきたものばかりだ。そして、麹もまた先人のひたむきな努力によって研究され培養されてきた
 秘剣の鹿児島の生家(池の上町)から歩いて5分、錦江湾に注ぐ稲荷川を渡ると、母校「清水小学校」がある清水町に入る。そこからさらに国道へと向かう。国道10号線に突き当たる左の角には大きなスーパーがある。昔はここに「ミソノ温泉」という「銭湯」があった(鹿児島市内の銭湯はほとんどが温泉か鉱泉)。その角を左に曲がり、国道を北に少し歩いた道沿いに、「河内源一郎商店」はある。社長は山元正明氏、冒頭に書いた「自動製麹機」の発明者である。
 山元氏と河内源一郎との出会いは、大東亜戦争時の燃料用アルコールの調達を担当していた山元氏が、製造に欠かせない「種麹」を求めたことから始まったという。奥様は源一郎の息女昌子さん。
 
 あらためて、河内源一郎の足跡を調べてみた。麹研究一筋に生きた姿が次第に見えてくる。戦災による不遇の時代、闘病・・・。ただ、一貫して見えるのは、源一郎の研究は「学問」のためのものではなく、常に事業者、焼酎製造者の立場を考えた親身のものだったということ。
 河内は明治44年、鹿児島税務監督局の鑑定官として赴任した。もとは広島県福山市の生まれである。税吏の常としていわれる「苛斂誅求」などは河内には関係なかった。生家は「山田屋」という醤油製造業。麹やモロミになじんで成長した彼にとって、鹿児島の焼酎業は身近なものに感じられたのだろう。彼の熱心な技術指導は、鹿児島の多くの業者に慕われ信頼されたという。
 黄麹で造っていた時代だ。薩摩の熱い夏の日が続くと当然腐造が起こる。河内が沖縄で使用されていた黒麹に目を付けたのは当然だった。さらに強力な黒麹を培養しようと努力する中で、天からの僥倖がもたらされた。そう、僥倖といっていいだろう、努力の結実と同じ意味で使いたい言葉だが。これが、すなわち後日「アスペルギウス・カワチ・キタハラ」の学名を付与された「河内白麹菌」の発見だった。ひたすら優れた麹菌を作るために捧げられた一生の頂点だったといえようか。当時は、黒麹で造った焼酎は味がきつく(現代なら、特に県外の焼酎ファンなら、味にキレがあるというのだろう。関東と薩摩の風味に対する違いはいまでも大きい)、なかなか普及しなかったともいう。
 河内はさきほども述べたが、自分の名誉・栄光・金儲けなどには麹菌一個分ほども興味も関心もなかった。よりよい麹をつくるためにすべてを捧げたといっていい。自分の研究によって生み出された成果、特許、専売権などをすべて業界に公表して躊躇うことがなかった。戦災で麹菌の培養器が失われた後は、常に試験管とシャーレを肌身につけていた。鹿児島市内が米軍の無差別大爆撃にあったあと、戦災で徹底的に破壊された清水町の自宅商店の跡地から、ひとかけらの麹菌を採取しようと探し続けていた河内の姿を山元氏は鮮明に記憶しているという。

 先人達の真摯な研究と懸命な努力を、積み重ね、また積み重ねて、いまの薩摩の「焼酎」があるということを痛切に感じる。これを伝統といい、文化というのだろう。一部の欲得だけで「本格焼酎」を扱う風潮が先人達の汗の前には、哀しくも卑小なものにみえてくる。

 河内源一郎、広島県福山市の人。薩摩の地で焼酎の発展に尽力。その血統はただしく継承され、いまに続く。彼は昭和23年3月31日に鹿児島市清水町の自宅商店の玄関先で亡くなった。倒れたとき、胸に抱いていたガラスシャーレが、哀しく泣くように音をたてたという。

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