242話 11.12の手控えより
ダイヤメ日記なるもの
 平成10年5月27日に、手控えを日記として付け始めてから2年半の時が流れ、今日で242話になった。え?勘定があわないって?
 最初は毎日書いていた。日記というより日常の雑多な所感をダラダラと書きつづっていた。だが、まあ日記と焼酎のみはユダヤとイスラム、政治家と道徳家、甲類と本格焼酎のごとく、両立するもんじゃなく相性が悪いと古人も言うではないか。(誰がいった?などと追求しないように)
 最初は毎日書いていたが、そのうち二日にいっぺんとなり、一週間に一度になるのにはそう時間はかからなかった、と記憶している。そのあたり、よくわからない。(過去の手控えをみりゃいいじゃないかと言わないように。小生のWEB辞書には<戻る>はないのだ。うむ、我ながらかっこいいな。え?ばかじゃんだって?)
 焼酎を飲むことと、日記を書くことが両立しないという公理は、しかし、小生がこの9月から付け始めた「ダイヤメ日記」なるものによって論理的に崩壊し瓦解した、というのは早計かもしれんが、とりあえず3ヶ月近くはこの日記、続いている。
「ダイヤメ」というのは、薩摩言葉で「だれ=疲れ」を「やめ=止め」ること、すなわち、晩酌のことを言う。働き終わって家に帰る。焼酎をゆっくりと味わうことで一日の疲れを癒す。これをダイヤメというのだ。

家に帰ると、カミさんが「お疲れさま、さあ、焼酎でもいっぱい」と酌をする。
親方や施主は、職人に「いや、ご苦労さん。さあ、焼酎でものまないか」と慰労する。

 薩摩の、人と人の潤滑油は焼酎なのだ。遥か16世紀のむかしのことだが、薩摩の大口地方にある神社で社殿の建築中に、「(施主である)神主が一杯の焼酎もくれなかった、ケチだなあ」と板切れに落書きして屋根の構造物のなかに隠した二人の大工がいた。焼酎のうらみはげに恐ろしいのである。この板切れに書かれた「焼酎」の2文字こそが、わが国の歴史に焼酎が登場した第一号なのだ。ちなみにこの焼酎は米焼酎だったと考えられる。芋の伝承は、さらにのちの時代だからだ。この話は、こちらでご覧ください

 ダイヤメ日記が続いている理由の一つは、焼酎には「推理小説の謎を解くような」面白さがあるからかも知れない。特に初めての酒を、造りや、麹や、水や、熟成について考えながら味わう楽しみは、絡んだ糸を解いてゆく風情にも近いと思う。ゆっくりと匂いを味わい、舌触りを楽しみ、喉越しと余韻を感じてゆくうちに、その酒の造り手の考え方や表情までもが浮かんでくるような気がすることがある。そして、その蔵元の所在するロケーションを考え合わせ、地域の知人友人の記憶までも思い起こしてゆくうちに、その酒の輪郭がはっきりと現れてくる。まさしく造り手の顔の見える「焼酎」になった瞬間だ。薩摩の本格焼酎が、風土の恵みであり、地域の文化であり、そして誇りであるという所以はそこにあるかもしれない。


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