手控え246話 12.9  より
地に棲む魂
 ・・・・・・(子供の運動会を)応援できずにつらいのは、子煩悩な夫だということぐらい私が一番知っている。 せっかく今まで我慢してきたのに、とわかっていてもグチはとまらず、涙が後から流れてきた。
 当日の早朝、おにぎりをつくっていると、夫と息子の声が聞こえてきた。「ごめん、おとうさんは一度も応援にいけなかったね。悪かった。でも仕事頑張るからね」と夫。 「いいよ、いい焼酎つくってね」と息子。 私は二人のやりとりがうれしく、うらやましく、そして前夜の自分がとても情けなかった。 結局息子がテープをきってゴールする姿は今年もなかった。 しかし、選手宣誓の大役を果たした私達は二人三脚玉入れ、ダンス、たくさんの競技に全力で参加した。
 長男最後の運動会だった。(鹿児島県川辺町  高良 計)
            平成11年11月19日 朝日新聞「ひととき」欄

「半農半酎」と自分を語るのは、鹿児島の川辺で焼酎を造っている高良武信さん。鮮度の高い芋(朝取りの芋)しか使わないから、サツマイモの収穫期である夏場から晩秋まではそれこそ焼酎造りに明け暮れもない忙しさとなる。子供の学校で行われる秋の運動会に、ただの一度も出たことがない高良さんに、奥さんがついグチをこぼしてしまったときのことを書いたエッセイが冒頭に引用した一文だ。
 宮崎の岩倉さんが「紅葉を見たことがない」といい、川内の村尾さんが「焼酎の奴隷ぢゃっですが」というほどに(芋)焼酎造りは季節とともにある。それは自然と同意であり、即ち農を業とすることと同じであると感じる理由だ。水、大気、良質の芋。いずれも生きて蠢き、永い時間を経て我らの前にいまあるもの。そして麹、酵母菌というまさしく生きて食い、食って吐く、微小な生き物たちの働きを、綿密に、丁寧に、慈しんで護り、励まし育てて造るもの。それが本格焼酎。杜氏の知恵と汗と家族の思いが、深く沈潜し、発酵し、蒸留されて遂に生まれ出る天恵。これが本格焼酎なのだと今更ながらに天を仰いで感謝する。
 水が失われれば、そして土が死ねば、すべての農業と同じく、焼酎造りは絶える。水も大気も土も人の命を支えているということ、人は天恵によって生かされているということを、薩南での焼酎造りのことを考えた時に、あらためて感じた。
 本格焼酎は、農業と同じと言ったが、それはまた造りという「職人」技の領域でもある。村尾さん、高良さん、塩田さんのように基本的にひとりで、あるいは家族で工夫しながら造りを続けている蔵もあれば、黒木本店、西酒造のように新機軸の焼酎造りに次々とチャレンジして新しいマーケットを切り開いている蔵もある。その是非をいうことは出来ないし、必要もない。それぞれのポジショニングが明快である限り、そしてなにより旨い酒を造り続けて行く限り、本格焼酎は九州の豊穣の地に棲む魂として勢いよく立ち上がり、ながく護り伝えてゆかれると信じる。

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