手控え251話より
「夢」と「義」について
 
その店の前をときどき車で通ってはいた。踏切に近い狭隘な県道に面しているので、ちょっと駐車してというわけにもゆかず、店の中をのぞいてみることもなかった。しかしその店構えには重い存在感を感じ、少々近寄りがたいイメージを持っていたのも確かだった。武蔵藤沢の駅近くにあるその店、「地酒・焼酎の店 ナボシ屋酒店」のガラスの引き戸を明けたのは、秋も深い11月の中頃だっただろうか。
店内に一歩足を踏み入れたときの印象はとても一言ではいえない。
   
 店内せましと並べられた商品。焼酎はもとより、さつまあげ、お菓子、酒器、そして大小さまざまな壷。薩摩郡か曽於郡の村の酒屋さんにでも入ったような錯覚を覚えてしまった。天井からはランプまで吊り下げられている。その脇に60cmばかりの長さに切ったモウソウ竹があった。
ないじゃろかい(店内に入った途端に、薩摩弁モードになってしまう)と見上げた目に、「焼酎蒸留器」という文字が飛び込んできた。
おいおい・・・(^-^;)。


(左)店に隣接する骨董店。奥に囲炉裏の間もあり、焼酎の会などに使用できるとか。



 店主の福島さんに伺ってみた。「焼酎の造りについてお客さんに説明するとき便利なんですよ」蒸留器の模型を指しながら、福島さんはにこやかに笑って教えてくれた。穏やかな表情で訥々と蔵や焼酎について語ってくれる福島さんは、昭和24年生まれの51才。薩摩郡祁答院の出身。鹿児島の本格焼酎の美味しさをお客さんにわかって貰いたいといろいろな工夫に余念がない。店内に焼酎だけでなく、酒器や焼酎にあうつまみ、漬け物など薩摩の風土の香りを凝縮してプレゼンテーションしているのもそのためだ。酒店に隣接して骨董の店もある。(どうも仕切の区別がつかないけれど(^-^;)
古い麹蓋を使って手作りしたパネルがあった。萬膳酒造の萬膳さんが蔵を再興したときに自ら写真を撮り、構成し、キャプションを書き込んで麹蓋に貼りつけて作った「萬膳の出来るまで」という焼酎造りの説明パネルだ。酒屋としての福島さんへの、萬膳さんからの深い信頼がここにあらわれている、そんな感動を覚えた。
「薩摩の焼酎も随分と変わってきています。あたらしい試みを打ち出す蔵元さんもあり、小さな蔵への取り組みも活発になってきています。鹿児島の焼酎が全国に普及される力が湧いていることはとても良いことです」と福島さん。その一方で、一部のプレミア銘柄だけを追いかける風潮に強い懸念をお持ちだった。
つい先日伺ったとき、「こげなものがあるんですが・・・」と一本の焼酎を見せていただいた。古い色あせたラベルには「逆鉾」とある。蔵元は、日当山酒造。
「いろいろ試していましてね。倉庫の冷暗所にストックして置いておいた焼酎です。15年か、20年くらいですかねえ」そう言ってエアパッキンに包み、「どうなっているか分かりませんが、ひとつ試してみてください」
一升瓶のなかで、20年前に造られた焼酎がどうなっているか、とても興味をそそられたが、なんと言っても余りに貴重な一本だ。
「よかとですか?」と言いつつしっかりとカバンにしまい込む小生に、福島さんは笑顔で手を振って「また、きっくいやんせ」
■ナボシ屋酒店  埼玉県入間市東藤沢1-4-5 
 電話&ファックス 042-962-8810  店主 
福島良秀 氏
 本格焼酎を美味しく飲みたいあなた、「ナボシ屋」さんで焼酎と一緒に飲み方、燗のつけかた、肴の取り合わせを聞いて、ついでに玉露の原酒を利き酒させてもらうのもいいですぞ。
ナボシ屋さんはウエッブサイトもお持ちだが、今はまだダイレクトに返事できる環境にはないとか。電話か手紙が確実かもしれないが、いちど行って話してみるのが一番だ。

店内にある「玉露」原酒。1合300円で量り売りしてくれる。

店内には薩摩・熊本始め本格焼酎の数々。黒糖焼酎、泡盛も豊富だ。約150種類ある。
 さて、ここからは余談になる。ナボシ屋さんや、他の良識ある酒屋さんの志しと対極にあるのが、酒をモノとしてしか扱わない酒販店だ。彼らは○ケースいれるから、○本リベートをつけてよ、といったレベルでしか「酒」を見ない。プレミア商品を店頭に掲げて集客し、セット販売で一過性の利益を獲得してよしとする。「人の知恵と工夫と汗」を集めて酒を造りだす蔵へも、モノを作る工場としか関心を示さないのだろう。即物的でスノッブだ。そこには地の文化としての焼酎への認識・理解はない。こだわって造りに励む蔵元さんほどそういう商売を嫌うはずだ。しかし、流通させなくては蔵を維持できない。あるていど大きな規模の蔵は、従業員への経営上の責任もある。新機軸を打ち出すための財務的な留保も確保しなくてはならない。そこにジレンマがあるだろうが、こころざしある酒販店と協同して戦略商品を創り出すなどの努力を継続してゆくことが必要なのだろう。
かさねて思うことを言うが、扱うものを「モノ」としてしか考えなければ、その商品にたいして愛情や敬意を持てるはずがない。
酒を扱う人(会社でもおなじこと)が、マーケットの受容動向、嗜好性の変化、そして規模と効率性を考えた「製造や販売」を研究するのはあたりまえだ。しかし、その大前提に無くてはならないものがあると思う。それを一言でいうと「意味」ということになろうか。この世に生きてある限りは、その生に意義のないものはない。(無いとすればそれを「生ける屍」という。永田町や霞ヶ関あたりには蠢いていそうだが。閑話休題)

 なりわいに、無意味なものは一つもない。ただ、そうなす人間がいるだけだ。「夢」を胸に燃やし「義」に依って生きていきたいものと、本格焼酎を魂であつかう人たちとの交友を通して痛いほど感じさせられた。

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