手控え276話(13.11.18)より
文化・伝統は効率化できない
奥秩父のそのまた山の奥の集落に、ひっそりと受け継がれてきた「獅子の舞」がある。
年に一度の祭礼に舞われるものだ。この話しを聞かせてくれたのはライカを愛するN氏。年に一度の秘舞があると聞きつけて行ってみたという。この獅子の舞は、様々な技で構成されているらしいが、そのなかでも「白刃」という舞は激情的だったようだ。抜き身の真剣(現在はもちろん模擬刀を使用している)をくわえた獅子たちが激しく回転し、交差し、たてがみを振り乱して舞うのだ。遺跡、伝承、習俗など、物事にはすべて由縁があり出自がある。秩父の奥村に伝わったこの獅子の舞が、那辺に由来するものなのか今は知らないが、私がN氏にこの話しを聞き、写真を見せていただいて感じたのはそれだけではなかった。

「人がいないんだよ」「え?舞う人のこと?」「そうさ。舞う人もいなきゃ、だいたい村の人がいなくなってきているんだって」
この村にくらべれば、彼がよく撮影旅行にいく信州や東北の村は都会だという。「ここから先はもう道はない、という山奥の、ちょいと開けたところにお社があってね、その鳥居の前の狭い空き地でこんな素晴らしい舞を舞うのだぜ、それもギャラリーなしだ。これが本当の文化の伝承の姿なのだろうな」そうなのだけどね、とN氏はつけ加えた。「もう舞を出来る人、受け継ぐ人がいないというんだから、この獅子の舞も、自然と消滅してゆくのは間違いないな」

生活に根ざした文化はそこに暮らしがあるかぎり伝承される。だが、その文化空間から当の生活する人々が消えて往けば、文化は生活ではなく保護や保存したりする対象になってしまう。個人や団体や行政が資金を出しあって維持してゆく文化資産ということになってしまう。それはそれでやむを得ないことかも知れない。薩摩の焼酎にしてもしかりだ。たとえば、黒瀬杜氏の技を伝承するには、第三セクターというカタチをとらなくてはならなかったが、ともあれそこで造りがなされ、一つの話題性の高い蔵としてのポジショニングを確立した。いま、県内に点在する焼酎蔵のいったい幾つが自分の蔵で焼酎を造っているのだろう。島津興業の焼酎台帳2001には「リレーインタビュー」という素晴らしい企画が連載中である。たしかその中にこういうことを仰った方がいらっしゃる。「鹿児島の蔵で、造りを継続しているのは7割もないでしょう」
言い換えれば、3割の蔵は「桶買い」しているということを、この方の言葉は意味しているのだ。そう、「オケ買い」は大分の大手麦焼酎会社の方法論だけではないのである。蔵の免許を維持するために、県内の他の蔵から原酒を購入し、瓶詰めして、自社ブランドで販売する、そんな蔵が3割はあると言うわけである。

鹿児島の産業振興、いや、文化振興という見地からだと、様々な事情から自社で造りを継続できなくなった蔵に対しては、その事情や問題を、行政自体の課題として解決すべきだろうと考えるのだが。役人はしかし、そうは考えない。徴税効率の悪さを解消するために、協業化や、免許の返上を「指導」する。免許返上すれば、補助金を出すとさかしらにいう。なんとテレビショッピングまがいのインセンティブをつけてまで税収業務の効率をはかるのだ。これはたとえば、いろんな村の先祖からの暮らしや文化に根ざした鎮守の神様を、何社かまとめて一つにして、祭りの効率化を図る、というのに等しいのではないか。極めて浅はかな、独善的非文化的な行為であり、むしろファッショといえよう。

行政だけが悪いのではない、という。そのとおりだ。蔵自体にも様々な努力が必要だろうし、理由もあるだろう。だが、行政は行政のためにあるのではない。納税のために働く忙しい国民・県民・市民のためにあるのだ。こういうことをつらつら考えていると血圧が上がるので、そろそろやめにしてダイヤメを・・・・・・と思ったら、きょうは禁酒日だった(^^;)

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