「ダイヤメ日記 北京編」

平成16年4月26〜29日

政治体制としての「中国」に対してとは逆に、
中国の持つ「風情」には大いなる魅力を感じる。
業務出張で丸4日間北京で過ごした。
酒、中国語、人また人。仕事以外の事をメモしてみました。

四月二十六日(月曜日)

北京空港は雨に濡れていた。
5年ほどまえに建て直されたという空港ビルはさすがに10年前とは違い、明るく機能的に変わっていた。そう、10年前は暗くて人の動線など考慮しない「田舎の駅」状態だった。ワゴンタクシーの汚さに閉口しつつも昔の北京を感じてちょっと楽しい気分になった。だが、それもあっというまに高層マンションと、セットバックされてひろくなった幹線道路の新しさに取って代わった。現実が記憶を圧倒した。



新彊ウイグル地区からやってきた物売り
この国の首都周辺(の表面)からは猥雑さや不気味さ、つまり街としての影の部分がかなり強引に消しさられてしまっていて、つまりは旅人にとっては味気のない街になっていた。空港からそのまま一時間、西北部に走り現場での打ち合わせ。一仕事終えて市内にはいった時にはすでに午後7時前。天気は回復していた。

約10年前に北京にきたとき、夕闇の底から湧くように立ち上がってくる自転車の人々の波には目が点になったものだったが、きょうは車の多さ、渋滞の凄さに驚いた。モータリゼーションは急速に進んでいるが交通マナーはまったく以前と変わらない。事故現場をみっつ目撃した。コンテナトラックの横にグシャグシャになって横転しているワンボックスの横で、アタマから血を流して座り込んでいる運転手がいた。公安車(パトカー)は来ていなかった。信号機の点滅が役目をなしていない街路には自転車や人や車が勝手に走っている。

お茶と焼酎
宿にたどりついて荷物を置き、晩飯に出かけた。
麦酒(燕京牌酒)のあと、蒸留酒になにかのフレーバーを加えた酒(五狼液)をストレートで。馴れれば美味い酒。歩いて宿に帰る道には人があふれている。路地を伝って歩く。ときに闇のなかから「警官」があらわれる。

オリンピックを四年後に控えてこの国はいささか焦燥している感じがある。
宿に帰って、持参した芋焼酎(さつま寿)をちびり。焼酎の国の人はこれでやっとほっとした。

四月二十七日(火曜日)

新華社近くにはメディアが集まっている。いわば中国の大手町といったところか。
光明日報の巨大なビルの裏側の茶店で打ち合わせ。終わって「北京そごう」の食堂で昼飯にした。熱気と喧噪。ひるどきなのでかなりのラッシュだった。
日本人の年寄り(私のことです)は、8元(約104円)のワンタン麺で腹一杯になる。隣の席では若い娘が大皿にのせたデカい魚の丸揚げあんかけに食らい付いていた。トレイの端から魚の尻尾がはみ出している。アタマと胃袋のタフさを日本人は学んだほうがいい。

午後から別々の場所での会議ふたつ。車間距離、車線変更、ウインカー点灯、歩行者優先など全てを無視したタクシーのおかげで約束の時間はきっちり守れる。

ファストフードの店がずらり

終わって、夜のアポイントまでの時間を宿のある王府井駅ちかくの胡同をうろついて過ごす。
「胡同(フートン)」は言ってみれば江戸の棟割り長屋だ。たとえば与兵衛店というのと同じように、○○胡同などと名前が付いている。それもオリンピックを前に取り壊しがすすんで市内では見ることも少なくなったようだ。
夕食時に、「東京オリンピックのときの日本と同じかもしれませんね」と同席いただいた某女史に言ったら、
「それでもね、政府は胡同の保存活動もやってますよ」と美麗才媛は流ちょうな日本語で答えてくれた。

宿に帰って胡同のしもた屋風の店で買ってきた麦酒(燕京牌酒)をいっぱい。宿の近くの店では10元(140円)、土産物屋の隣の店では4元、それと同じ物が胡同の店では2元(28円)だった。オフの時間は麦酒ばかり呑んでいる。

中国の女性はあまり飲まないが・・・

四月二十八日(水曜日)

この日、午前中は北京西部にある研究施設で結構長いミーティング。
終わって昼食を会議のメンバーと一緒にとってから宿へ帰った。「王府井(ワンフーチン)」近くの宿である。古い宿なので部屋には今は北京でも常識になったはずのLANケーブルがきていない。日本との連絡は国際携帯。いまこれを書いているマックはネットには繋がっていない。なんとも心許なさが漂う。粒子の荒れたテレビ画面で見るNHKの衛星放送だけが情報の入り口である。

やる気のない警官
北京の銀座と人はいい、メディアもそう評するが「王府井」はどうみても上野か浅草のイメージである。
もちろん大通りでは様々なプロモーションが行われ(きょうはファッションショーをやっていた)、賑わいは北京随一といっていいのだろう。この街筋の外れにある餃子の店。麦酒(青島麦酒)と水餃子で夕食。安くてうまい店だ。その帰り、同行の若い衆Gクンが怪しげな屋台で蛇(の皮)と蚕の繭をつけ焼きにしたものを買って喰ったので、蚕の繭をひとつ分けて貰った。怪しい味。辛い。この香辛料なら、中身が蛇でも繭でも蠍でもおんなじだ。若い娘たちが大口あけて蠍(さそり)の串焼きを食べているのをみると亜細亜は同胞であるなどという幻想は須臾にして去る。「エリアの個性」に対して失礼というものだ。

宿のロビーで打ち合わせ。終わったのが23時。
トイレが詰まっている。洗面台が壊れている。ルームサービスは来ない。五つ星でこれである。中国である。
Gクンの部屋で麦酒。持参した焼酎は最初の夜にからっぽになっている。

四月二十九日(木曜日)


活力。怒鳴る、釣り銭が足りないよ〜。
昨夜、麦酒を飲みながら話し込んで早暁四時に至った。
カラの麦酒缶が二十本ほど残っていた(らしい)。
さすがに若干二日酔い気味。
宿の廻りを歩く。
時間だけはたっぷりありそうな爺さんや婆さんがそぞろ歩いている。

宿に帰り食堂に行ったら「二階ネ」とチャイナドレスのネーチャンが言った。
昨日開催された国際会議のメンバーと勘違いされたらしい。

面白いので二階のレストランに行ってみた。警備員がふたり(ひとりは女性)部屋の前に立っていた。「早(ツァオ)」と手を挙げて挨拶。なんなく入室。警備になっていない。
会議のメンバーさんたちに混じってお粥をすする。着いたテーブルには少壮の教授か外交官とも見える男が珈琲を飲んでいた。中国語はわからないようで、英語ですこし話した。アジア系の顔だったがなんとも不思議。そのあと再び一階の食堂に移り、同行のGクンやS嬢と二回目の朝食。六カ国協議の話題。外務省の藪中局長が北京滞在中とか来るとか聞いた。次の会議の予定を決めることだけが目的(としか思えない)こんな会議を続けていても、拉致被害者は帰ってこないし、被害者のご家族の苦しみは延々と続くだけではないか。

霞がかかったどんよりした大気の中を、北京空港へ。来るときと違い飛行機はDC10だった。ジャンボに較べるとビジネスクラスでも座席の幅も前後の感覚も狭い。だが、お釣りを投げてよこす店員のいる国から離れて、機内をこまめに動いて客に気をくばる笑顔のスッチーたちを見ると、「労働」ではなく、「サービス」のある国の国民でよかったとしみじみ思う。

深夜所沢に帰宅。昭和天皇の御誕生記念日がいつしか過ぎて30日になっていた。


蛇、繭、蛙・・・タフな店主

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