7月
上燗
●携帯三個分くらいの大きさだったような。

昭和54年(1979)の7/1、ソニーが携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン」の第1号を発売。定価は33000円だった。
当時の大卒男子初任給は約10万円。手取りはもっと少なかったはずだから、なかなか買えない値段だったわけですね。この二十数年の間にメディアはテープからCD、MDと変わってゆき、曲もMPEGや他のフォーマットなどでダウンロードして愉しむようになった。プレイヤーも当然小型化し、とうとう携帯電話の機能に組み込まれたものも登場。いや、電話機能がついた個人情報携帯型エンタメツールが登場したといったほうがいいかもしれない。耳をイヤホンで塞ぎ、目は携帯の画面に釘付けになって、我を忘れて交差点や踏切に進入しないように。
ちょうど初期のウオークマンと同じくらいの大きさの「白露・フラスコボトル」をポケットにつっこんで散歩にでも行こうか。ぐびっ、ふらふらと昼下がりの休日をほろ酔いで愉しむのはいいけれど、イヤホン・携帯青少年とおんなじハメになるかもしれん。

●亀の子タワシを先輩の結婚祝いに贈った貧乏学生時代もあった(遠い目)

7/2は「たわしの日」です。大正4年(1915)の7/2、西尾商店、西尾正左衛門が「亀の子束子」の特許を取得したことに因む。亀の子束子が考え出されたのは明治40年(1907)のこと。西尾の妻が棕櫚製の玄関マットを切り取って丸め、床を磨くのに使っていたことがヒントになったらしい。
このタイトルは実話です。もう30年以上前の記憶。バイト代が入れば新宿の小便横丁に行ってわけのわからん酒を飲んでいた時代。神田まで行けば「白波」が飲めたと聞いてはいたが行ったことはなかった。芋焼酎が東京の夜を席巻する時代がくるなどとは夢にも思わなかったころを夢に見て「亀五郎」をちびり。

●薬丸自顕流を飛行機にするとゼロ戦になる

7月6日は「ゼロ戦の日」である。昭和14年のこの日、零式艦上戦闘機の試作機の試験飛行が始った。堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機。時速533キロ、航続距離3500キロ。1年後の皇紀二千六百年、重慶西部上空で敵空軍のソ連製戦闘機30機をゼロ戦13機で攻撃し、すべて撃墜したのが初陣だった。防御能力を犠牲にして攻撃力と航続距離を極大化するという設計思想はどうにも薩摩のじげん流(薬丸自顕流、東郷示現流)を思わせてならない。明治元年(1868)、戊辰の役に出征し、東北の地で薩摩の剣を振るい奮戦した故郷岩川の戦士たちを思い、激戦の地、山形県温海(あつみ)町と、わが大隅町の友誼に敬意を表しつつ「私領岩川五番隊」を戴くことにする。

●七夕にはこれはもう田崎さんの酒でしょう

7/7は七夕(たなばた=棚機)。その語源は旧暦の7月15日の夜に戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織して棚に置いたことから。その後、7/15は「盂蘭盆」となり、棚機は盆の準備をする日ということになり7月7日に繰り上げられた。これに中国から伝わった織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)の伝説が結びついたわけである。
夏の夜、中天にかかる天の川の乳白色と点在する一等星の輝きを見上げ、ふと目を転じれば蛍が舞っている、という昔の夏はもう過ぎ去った青春の輝きのごとくである。残照に向かって「たなばた」のグラスをあげる。
この日はまたゆかたの日でもある。昭和56年(1981)日本ゆかた連合会が制定した。七夕の日、女の子は色の附いた糸を結び、7本の針と瓜を供え、裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していたという中国の故事に因んだもの。若い人たちに、ゆかたの美しさを見直し親しんでもらうきっかけにしてもらおうという狙いである。

●ぶらさがり記念日がつぎつぎに

7/7ポニーテールの日平成7年(1995)日本ポニーテール協会が制定したもの(なんやねん)。7日が「七夕」「ゆかたの日」であり、織姫がポニーテールであることと、ポニーテールが浴衣に似合うこと等から決めたらしいが、織り姫の髪型もポニーテールというのだろうか?
さて、この日は川の日平成8年(1996)建設省(現在の国土交通省)が、近代河川制度100周年にあたり制定。七夕伝説の「天の川」のイメージがあり、7月は「河川愛護月間」であることからそう決めたという。河原はみんなのものだが、建設省は自分のものと思っている節がありきにくわんが。
さてさて、この日は香りの日平成3年(1991)全国化粧品小売協同組合連合会中部ブロックが制定した。七夕に因んで「化粧品を買ってプレゼントしよう」と販売促進の提唱である。う〜む。
さてさてさて、この日は冷やし中華の日。この日が二十四節気の「小暑」となることが多く、夏らしい暑さのなかで冷たい冷やし中華をということから愛好家・調理人たちが制定したんだとか。もうやけくそですが、もうひとつ。乾麺の日昭和57年(1982)全国乾麺協同組合連合会が制定。七夕の日に、素麺を天の川にみたてて食べる風習があったことからという、これはなかなか素性に風情がある記念日だ。7/7シリーズは、これで、おわり。

●早稲田「グラウンド坂下」の意味をしらない若者。

わが国最初のナイター照明設備が出来たのは、昭和8年(1933)の7/10である。
早稲田大学の創立50周年記念事業として安部球場に完成した。この球場は昭和50年代の初めまでは早稲田野球部が使っていた。この球場の裏に小生が学生時代の最後の二年をすごした元女郎屋の下宿屋「永泉館」があった。(遠い目)

●やはりプロペラ飛行機が好きです

初の国産旅客機YS-11が完成したのは昭和37年(1962)の7/11。戦後はじめて造られた(そして最後の)国産の旅客機である。ロールスロイス社のダート10ターボプロップエンジンを両翼に載せたスマートな機体だった。小生は広島上空をこの飛行機で飛んだことがある。余計なことだけれど、初めて乗った飛行機はダグラスDC-3だった。プロペラ飛行機の魅力はひとことではいえない。
YS11には零戦、紫電改、一式陸攻、二式大艇という世界に冠たる優れた飛行機を造った技術が継承されていた。われらの近いご先祖たちのフロンティアスピリットに、「長雲」で乾杯。

(7月下燗につづく)

(児玉篤氏撮影)


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