9月
下燗
●全部がそのはず。

昭和48年(1973)9/15は、シルバーシートが初めて登場した日である。
東京・中央線の電車に老人・身体障害者の優先席として設置されたのだった。しかし、ハンディキャップのある人に席を譲るのはアタリマエ。電車のなかのシートすべてが「優先席」のはずなのだが。そう思い、すこし違和感を覚えたことを記憶している。
敬老の日は9月の第三月曜日。「祝日法」の改正により平成15年から実施。老人福祉週間は9/15〜21である。中国には昔から活到老学到老(huo2 dao4 lao3 xue2 dao4 lao3)という言葉がある。学問に終わりは無いということ。歳月人を待たず(歳月不饒人sui4 yue4 bu4 rao2 ren2)といういささかプレッシャーを感じさせる言葉もある。「万夜の夢」を静かに啜りながら老いてなお活気にみちていた造り手さんを偲ぶことにしよう。

●満州事変翼賛朝日新聞

昭和6年(1931)9/18、満洲事変が勃発した。関東軍が、奉天郊外・柳條湖の南満洲鉄道(満鉄)の線路を爆破、それを国民政府軍の犯行であるとし、満鉄沿線で行動を起こして数日のうちに満洲南部の要地を占拠したものであった。このとき関東軍の勢力は約1万人。対する中国軍は25万人。又、装備も自動小銃など中国軍の方が良いものが多かったのである。わずか5ヶ月で満州全域を占領、翌年3月には満州帝国の建国。この戦果によって参謀石原莞爾は「戦争の天才」と呼ばれたのだった。だが、この戦果は同時に「中国軍」への軽侮と自軍への自信過剰を招来し、結果よければ良しとする軍の夜郎自大に繋がっていった。因みに当時の朝日新聞は軍への「よいしょ」記事を書き散らしている。

●バクチことはじめ。

最古の賭博天武14年(685)の9/18に行われた。天武天皇が御所でスゴロク賭博をご開帳あそばされたと「日本書紀」に記録がある。
絵を書くにも画才が必要だが、バクチにも才能は必要だ。博才のない人間にはパチンコや競馬競輪はもとより、宝くじすらも当たらない。しかし、博打で家を建てたという人の話をきいたことがない。胴元なら話は別だが。小生には完全にバクチの才能はありません。じゃんけんですら勝ったためしがない。従ってはじめからバクチはやりません。競馬競輪競艇などはもとより、ゴルフもマージャンもやりません。「なんこ」は飲みたいために負けるんだと言い訳できるからやりますが。「日向金の露」をいただきながら四半的(しはんまと)でも・・・いやいや、手元があぶないのでここはやっぱり「なんこ」。

●性の商品化は女性差別であり、美人コンテストはその最たるもの。

1888年の9/19は、世界初の美人コンテストが行われた日。ベルギーで開催された。
350人の応募者からまず写真選考、21人が最終選考に残った。優勝は18歳の女性。賞金5千フランが贈呈された。彼女は女優になったという。116年前、明治21年である。大正・昭和期の女性解放運動活動家、平塚らいてう女史は江戸麹町に産声をあげたばかりで↑タイトルのようなコメントをだすことはできなかった。
女性差別が行列を作っているような街の名にちなんだ「天文館」をいただきましょうかね。

●モデルは性の商品化ではないのかな?

昭和2年(1927)9/21は、わが国初のファッションショーが行われた日である。場所は銀座の三越呉服店。一般から図案を募集した「着物」のファッションショーで、初代水谷八重子ら3人の女優がモデルとして出演した。さて、毎日どっかで様々なファッションショーが行われているからご覧になる機会は多いだろう。しかしファッションショーの裏方で仕事された方は少ないと思う。じつはこれほど面白いものは滅多にない。演出家でも、モデルでもなくそのショーの「スタイリスト」さんに話を聞く機会があればそれが分ります。
パリやミラノのショーでは本番前にデザイナー自身がワインやシャンパンをモデル、スタッフに注いで回って意気をあげるそうな。日本ではそんな習慣はないが、鹿児島では是非「芋焼酎」でやってもらいたいものだ。

●月は「月亮yue4 liang」。月亮代表我的心という歌がありました

中秋の名月は旧8/15で、十五夜のこと。ただしかならずしも満月であるわけではない。十五夜には様々な行事や伝承がある。中国だけでなくアジアの他のエリアにも同じような伝承があるという。
十五夜の月に供えた豆腐を食べると腹痛がしない。(静岡県榛原郡)
十五夜や十三夜の供えものは年寄が食べるもので、もし若い者が食べるとなかなか嫁にいけなくなる。(埼玉県羽生市)
十五夜の団子を盗んで食べると、よいことがある。(千葉県野田市)
ことし平成16年(2004)の十五夜は9/28で、十三夜は10/26である。「片月見」を嫌うのも各地共通のようだ。
片月見はいけない。もしどこかへ出かけて行って月見ができないときは、供えたものを残しておいて帰ってきてから食べさせる。(埼玉県都幾川村)
片月見は悪いことがある。十五夜をやったら必ず十三夜もやる。(群馬県板倉町)

月の中」をお湯割りでいっぱいいただきましょう。宮崎らしいやわらかな味わいがひろがってゆく。

●明治10年のいくさは、明治維新の終わり。

9/24は南洲忌である。明治10年(1877)のこの日、大西郷が城山で自決。桐野、篠原、別府など最後まで行を共にした人々とともに最後の日を迎えたのである。いま市内上町にある南洲墓地・南洲神社には2023柱のつわものたちが桜島を臨んで眠っている。
庄内藩から参戦した少年兵ふたりの小さな墓碑はかれらの遠いふるさとの方角を向いている。境内には薬丸自顕流(やっまっどんのけこ)の気合が響く。まさしく薩摩隼人の霊域である。銀杏の老大木が次第に色づき始めると、やがて晩秋。

●カレーと焼酎。あうかな?

9/25は10円カレーの日である昭和58年(1983)9/25から、日比谷公園の中にあるレストラン「松本楼」では、この日に、普段は700円のカレーを10円以上募金した人に提供している。
昭和46年に焼失した店を、2年後のこの日に再建なったことを記念したもの。この日は「10円カレーの日」という愛称で親しまれており売上げはすべて交通遺児育英基金に寄附されている。ちなみにカレーに焼酎があうかどうかは<?>ですが、牛筋カレーのまろやかな味にはだいたい大丈夫かも(^^;)。残り少ない「角玉」をちびっとづつ舐め舐めカレーを掬う。うん、うまい。

★★中国の新駐日大使は王毅氏(2004.9.10)。日本語ペラペラ。

昭和47年(1972)の9/29、北京で日中共同声明の調印
が行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名した。これによって「日中国交正常化」となり、爾来中国のいうがままに巨額のODAを朝貢する図式ができた。現在最強のへたれ中国大使といわれるチャイナスクール優等生、阿南大使には王毅氏の(日本語と報国心)を見習ってもらいたいものだ。真无聊!

(9月終わり)


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